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エピソード2
「……っていうことがありましたよね?なぜ死ぬ間際になるまで私を呼ばないんですか?」
変わらない美しさを持つ天使は、かつて少年だった老人に向かって文句を言う。
「天使さん、忘れてたわけじゃないんだよ。今の今まで、あなたに叶えて欲しい願いが本当になかったんだ。」
病院の白いベッドで横たわる老人に、もはや少年だったころの面影はなかった。そんな老人に向かって天使はさらに頬っぺたを膨らませる。
「80年も生きて、願いが一つもできないってどんだけ心が清らかなんですか!いや、心は清らかであるべきなんですけど…、でも、あなたの願いを叶えるのは私の宿命なんです。『願いがない』じゃ、困ります!」
例えば、と天使が話を続ける。その声が、広々としたシンプルな病院の個室に響き渡る。
「若返ってもっと長く生きる、とかどうです?『不老不死』とまではいきませんが、それに近い十分な時間を過ごすことはできますよ!」
キラキラと話す天使の提案に、老人は笑いながら首を横に振った。
「はは、遠慮しとくよ。これ以上の人生は、蛇の絵に足をつけてしまうようなものだからね。」
老人の答えに、100年も生きてないくせに、とまたも頬っぺたを膨らませる天使。
「それなら…、もうこの世にはいない人との再会、とかはどうです?懐かしい友人との再会、美しいですよね…あ、奥様との再会とかもロマンチックじゃないですか?」
「それも遠慮しとくよ…、妻とは離婚してしまったし、友人たちとはあの世で会う約束をしてるからね。」
優しくほほ笑む老人に、天使は、死んだ後の魂が跡形もなく消えさってしまうことをうっかり話してしまいそうになる。
神様の戯れで作られたこの世界に、『その後』は存在しない。そのため、死人と会いたいという願いは、天使がその者にとって都合のいい幻を見せることで、未練を晴らせるようにしている。天界では常識なのだが、それを下界に伝えることは禁止されている。伝えられた者が、死を極端に恐れてしまうことを避けるためだ。
「……っそうですか。だとすると本当に困りましたね。大それた願いじゃなくとも、天使の力を使えれば良いのですが…、」
純白の布を取り出し、一滴の汗も出ていない額をぬぐう天使。天界学校で習った人間向けのジェスチャーを、ここぞとばかりに使う。と、それを見た老人が何かを思いつく
「こういうのはどうだろうか?」
「え、何か思いついたんですか?」
老人の提案に天使が、身を乗り出して飛びつく。そんな天使には目もくれず、老人は、横たわったまま口を開いた。
「紅い花を…、この世で一番美しくて、永遠に枯れない紅い花を見てみたいんだ。」
「……、なんですかそれ!すごく素敵じゃないですか…、でも意外ですね。」
天使のふふっと笑う声で、老人の耳が赤くなる。ン˝ン˝と咳ばらいを挟んで、老人は、
「それで…、できるのかい?」
「もちろんです。ではでは、早速。」
天使は、難しそうな呪文を唱えると、体の正面に手をかざす。と、瞬間、目の前に一輪の紅い花が浮かび上がった。
「どうぞ。お望みの花です。」
「…….すごく、きれいだな。」
手渡された花をまじまじと見る老人。そして、そのまま老人は、天使の前にその花を差し出した。
「この花をもらってはくれないだろうか?」
急に差し出された花を目の前にして、天使は言葉を失ってしまった。今まで人間の願いを叶えるだけの存在であった天使にとって、人間からの贈り物など考えられなかったのだ。
「なぜ、私に、ですか?」
言葉を詰まらせながら話す天使に、老人は目を細めた。
「私の知人は皆死んでしまって、私を知る者はこの世にいなくなってしまった。でも、あなたは私よりもはるかに長い時間を生きているから、その寂しさは、私とは比べ物にならないだろう。そんなあなたの寂しさを少しでも癒せるならと思って。この花を、死にゆく私の代わりにして欲しい。」
ああ、それと、と付け加える老人。
「純白のあなたには、深紅の花が似合う、そう思っただけだよ。」
老人の耳は、花に引けとらないほどに赤くなっていた。
「ありがとうございます。」
天使がお辞儀をすると共に、真っ白のきれいな髪がサラサラと流れる。
「ん、そうだ。」
天使は、その花で髪飾りを作ることにした。世界で一番美しい花で作った、世界で一番美しい花飾りだ。
「どう?」
髪飾りをつけた天使は、横たわったままの老人の顔を覗き込む。
「うん、よく似合ってる。」
老人はにっこりと笑った。そして、ゆっくりと目を瞑り、息をしなくなった。
残された天使は、老人の魂が消え去っていくのをただ見守ることしかできなかった。
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