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開演
真下side
真下が塔矢に相談をしてから数日後。
ゼミで一条と会った。でも一条の態度は相変わらずだ。恋人なのだから、少しはアイコンタクトくらいしてくれてもいいのにと思うが、一条と視線すら合わない。
「まーしたっ!」
ゼミの教室の入り口で、笑顔で真下を呼ぶのは塔矢だ。
「塔矢?! どうした?!」
塔矢がここまで来るとは思わずに、真下はまさかと目をしばたかせる。
「あ! 塔矢くん!」
ゼミの皆も塔矢のもとに集まってくる。なぜかというと塔矢の初主演映画がクランクアップしたと今朝のニュースで取り上げられていたからだ。塔矢はTVで期待の新人俳優と紹介されていた。一躍時の人だ。
「TV見たよ! すごいねー!」
あっという間に人だかりだ。塔矢はそれを適当にありがとうありがとうとあしらって、真下のそばにやって来た。
「真下、もう帰る?」
「う、うん……まぁ……」
「じゃあ俺に付き合ってよ。一緒に映画観に行かない?」
塔矢は真下に向かって言うのだが、その視線は近くにいた一条も同時に捉えている。
「お前言ってたじゃん。誰かのせいで見逃した映画があるって」
塔矢の言葉に一条がぴくりと反応した。塔矢も塔矢で、一条を見てキッと睨みつける。
「そういうクズ野郎はこっちから願い下げだろ。インスタもリムれ! 何が明治神宮で初詣だよ。どーでもいいわ」
塔矢やめろ。一条は誰のことを言ってるのか気がついたみたいだ。一条のイライラがこっちまで伝わってくる。
一条の顔色を伺おうと真下が一条の方を見ようとしたら、塔矢がそれを身体で阻止する。
「行こうぜ、真下!」
塔矢は強い力で真下を引っ張っていく。まるで強制連行だ。
◆
「塔矢っ! いい加減離せよっ!」
「ダメだ。あと少しだけ我慢しろっ」
塔矢はゼミの教室があった建物が見えなくなるところまで行ってやっと真下を解放してくれた。
「真下。スマホを見てみろ。あいつから連絡来たか?!」
塔矢に言われてスマホを確認する。塔矢の言う通り、一条からのLINEが届いている。
『真下。今日の夜、俺の部屋に来てくれないか?』
一条からの誘いなんて、滅多にないのに一体どういうことだ?!
「貸せ」
塔矢は真下のスマホを奪い、勝手に操作している。
「おい、塔矢っ! 何してんだよ!」
「これでよし」
塔矢にスマホを返され、何をしたんだとスマホの画面を確認すると、塔矢は勝手に一条にLINEを送っていた。
『他の女を連れ込んだ部屋に誰が行くかよバーカ!』
しかも既読になってる……。今さら送信取消しても一条に見られた後だ。
「塔矢、お前さぁ……」
塔矢の行動に呆れるが、塔矢はなんだか嬉しそうだ。他人事だと思って楽しんでるのか。
「大丈夫だよ。一条は今頃お前を俺に取られたと思ってるだけだから。釣った魚に餌はやらないような奴みたいだけど、奪われた宝は取り返しにくる。人に奪われると思ったら急に惜しくなるってのはよくある話だろ?」
塔矢は何をしたいんだよ……。
「さてと。真下、どうする? さっきのは一条を焚き付けるための嘘だから、お前はこのまま帰っていいけど、本当に俺と映画、観に行っちゃう?」
塔矢はニヤッと笑っている。その笑顔を見て思い出した。塔矢は思ったことをはっきり表現するような奴だったなと。
「うん。行く。あの映画本当に観たかったから」
「お! いいね! 早速座席予約する」
塔矢はスマホであっという間に予約をしてみせる。
「早いな」
「俺ね、映画好きでしょっちゅう予約してるから」
そうだった。塔矢は演劇バカだった。観るのも演じるのもどちらも好きだったなと思い出した。
◆
「すごい、効果的めんだ……」
映画が終わってスマホを見たら、一条から鬼のように連絡があった。着信もすごいし、『俺たち恋人だろ?』とか『俺の部屋が嫌ならお前の家に行くよ』とか『塔矢とデートなんて許さない』などのメッセージ。
「まだだ。返信するな。全部無視しろ。連絡を無視されてどんな気持ちになるかあいつも少しは味わった方がいい」
塔矢はとことん一条が嫌いなんだな。
「それにしてもムカつくな、このLINE。今さら恋人ヅラするなら最初からちゃんと大事にしろよ!」
塔矢は親身になり過ぎだ。当事者の真下よりも塔矢の方が怒ってる。
「二股とかマジであり得ねぇし。おい真下。一条の家を教えてくれ」
「いいけど……」
まだ塔矢は一条に何か仕掛ける気なのか……?
◆◆◆
それからまた次の次、二週間後のゼミの日になった。
真下がゼミの教室に行くと、いつも早めに来ている一条が今日はいなかった。
「あれ? 一条は?」
「真下くん、知らないの……?」
「何を?」
同じゼミの佐藤に言われて真下の頭にはハテナが浮かぶ。
「一条くん。二股かけてたんだって。最低じゃない?!」
「え?!」
なんだその噂は。いつの間にそんなことに……。
「ねぇ、その話詳しく知ってる?」
佐藤に小声で訊ねる。佐藤は少し考えて「もう終わったことだから話すけど」と前置きしたあと、ゼミの教室の隅で目立たぬよう、そっと話し始める。
「私の友達の舞美がね、一条くんと付き合ってたんだけど……」
一条と付き合ってた……? やっぱり一条の恋人は真下ひとりじゃなかったんだ。
「舞美が、一条くんの家に遊びに行った帰りに一条くんちのマンションの入り口で、『君、二股かけられてるよ』って眼鏡と黒いマスクをした背の高い男の人に突然言われたんだって!」
「えっ、知らない人に?!」
「うん、そうみたい。最初はそんな人の言うことなんて信じられないって思ったらしいんだけど、『嘘だと思うなら明日の夜、一条の家を連絡なしに訪ねてみろ』って言われて、冗談でしょと思いながらもそのとおりにしたら、他の女と一条くんの家で鉢合わせしたんだって!」
真下の知らないところでそんな修羅場が繰り広げられていたのか……。
「ひどくない?! 二人とも一条くんから付き合ってって言われたんだって。最初から二股かける気で声をかけてたんだよ」
確かにひどい話だ。そして、その修羅場にはいなかったが、真下も数に入れると一条は三股をかけていたことになる。
「舞美が泣いて周りの友達に『一条サイテー』って騒いでさ、すっかり二股の噂が広がってるの……」
そうだったのか。お節介な眼鏡黒マスクの男がきっかけで一条の悪行が明るみになったのか。
「だからきっと気まずくてゼミに来れないんじゃない——あっ! い、一条くん!」
噂の一条本人の登場だ。佐藤は口をつぐんだ。
「佐藤。おはよ」
「お、おはよー、一条くん……」
佐藤はさっと挨拶をして逃げて行った。一条に動じた様子はなく、静かに席について資料を読み始めた。
一条はひとりきりだ。いつもは皆に囲まれているのに……。
一条を見ていたら、一条も真下を見た。二人の視線が合う。一条は何か言いたげな目をしていたが、結局何も言わずにうつむいてしまった。
◆
「まーしたっ!」
塔矢だ。またゼミ終わりにやって来た。塔矢の姿を見て、立ち上がりズンズン迫っていくのは一条だ。
「おい塔矢。てめぇ、ちょっと話がある」
「は? 浮気野郎と話すことなんてないけど」
うわぁ。本人に向かってはっきり言うなよ! 皆コソコソ噂をしてたのに。
「うるせぇ! ちょっと来い!」
「わかったよ。二股どころじゃないんだろ? 本当は何股かけてたのか聞かせろよ」
「塔矢、俺にぶっ殺されてぇの? これ以上俺を陥れるな!」
「何言ってんの? 全部お前が悪いんじゃん」
一触即発の空気のまま、一条と塔矢の二人はゼミの教室を出て行く。
嫌な予感しかない。
二人のことが心配で、真下も二人の後を追う。
◆
二人は大学構内の、人気のない場所で対峙していた。傍目で険悪な雰囲気が伝わってくる。
「あの日、舞美をそそのかして俺の部屋に行くようけしかけたのは塔矢、お前だろ?! ふざけんなよ!」
やっぱり。眼鏡と黒マスクの男は塔矢だったんだ。
「俺ね、誰にでもいい顔する奴、好きじゃない。知らねぇの? 恋人ってひとりだけなんだよっ。誰彼構わず関係を持ちたいなんて盛ってんじゃねぇよ! クズ野郎が!」
うわ、どうすればいい。なんとかこの場を収めたい。
「一条、もうお前の味方なんていない。お前と付き合いたい奴なんていねぇから。ひとり寂しく泣いてろよ!」
塔矢の罵声に一条は反撃の言葉を詰まらせた。
「一条。お前だけは許さない。これでもまだわからないなら、今度はお前のSNSをめちゃくちゃにしてやる!」
塔矢……! そこまでしなくても……。
「お前がチヤホヤされるのは、見た目が理由だろ? お前には顔しかない。性格腐ってんだからよ! だったら俺がその顔をぶち壊してやろうか?」
一条の見た目に惹かれたのもあるけど、明るくていい奴だと中身にも惹かれたのは事実だ。真下は最初に一条を好きになった時のことを思い出した。
「死ねよクズ。マジで今すぐここでそのムカつく顔をフルボッコにしてやるっ!」
「塔矢! やめろ!」
もう黙っていられない。真下は塔矢と一条の間に割って入った。
「どけっ! 真下っ! 俺はこいつをぶっ殺してやるっ!」
塔矢の勢いは止まらない。
「塔矢、やめてよ。もういいから……」
もう十分だ。これ以上塔矢が一条に手を下す必要なんてない。
塔矢はチッと舌打ちした。
「わかったよ。真下がそう言うならやめる。一条覚えとけよ! 今度ふざけた真似をしたらマジでぶっ殺す!」
捨て台詞のように塔矢はそう言い残し、憤慨したままその場からさっさといなくなってしまった。
「真下……」
一条が力なく真下の名前を呼んだ。
「ごめん。お前を散々傷つけた」
しおらしく謝ってくる一条に「もういいよ」と声をかけてやる。心からそう思ってる。一条の行為は悪いことだと思うが、今の真下にとってはもう過去の話だ。
「ありがとな。俺を庇ってくれて」
「別に一条を庇ってなんかないよ」
「いや。助かった。真下、お前やっぱり優しくていい奴だな。俺がこうやってひとりきりになったときに、俺に手を差し伸べてくれたのはお前だけだ」
さすがの一条も、塔矢の猛攻に参ってたんだ。二股野郎だと噂をされていることを知りながら、ゼミにちゃんと顔を出したのもきっとかなり無理をしていたんだろう。
「それなのにお前を選ばないなんて、お前だけを愛さなかったなんて間違ってた。真下がもしまだ俺を少しでも好きでいてくれるなら、こんな俺を許してくれるなら、お前とこのまま恋人でいさせて欲しい。そして今度こそお前を大切にする。お前だけを好きでいさせてくれ。だから俺のそばにいてくれないか?」
一条は必死で真下に訴えてくる。ここ数日、塔矢のせいで辛かったのだろう。その目に少し涙が滲んでる。
「真下。大好きだ」
一条は真下をそっと抱き締める。その手は今までないくらいに優しかった。
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