闇の剣士 剣弥兵衛 魔王殲滅(七)

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 京の北西に当たる松尾の辺りから、錦秋の頼りが聞こえ始める頃、大黒屋の奥座敷では弥兵衛と智里の婚儀が執り行われていた。二間続きの襖を取り払い、奥の床の間の前に、弥兵衛と白無垢姿の智里が座らされていた。新郎となる弥兵衛の側には田舎から出向いてきた叔父夫婦に不動寺の住職、それに源四郎と清玄が並んでいた。また、新婦の智里の側には大黒屋の主人夫婦、それに親戚の者であろう三組の夫婦が並び、町内の主立った者、紙問屋の仲間内が、それぞれの側に分かれて座っていた。こんな宴席の中で、源四郎と清玄が異彩を放っている。  形通りに三三九度の献杯が交わされ、どこで習っているのか大黒屋の親戚の一人が高砂を見事に謡い終えていた。祝宴に移ると、先ずは弥兵衛の叔父が進み出て、大黒屋の主人に酒を注いだ後に智里を見つめた。 「弥兵衛は兄の嫡男ですが、村人のために厄災を凌ぎ、村を守った兄の意志を引き継いでいる男です。わてには詳しいことを言いませんが、兄の言葉を信じ京で役目を果たすと言っとります。こちらのお店にも何かとお世話になると思いますが、何卒お引き回しのほど、宜しくお願い致します」  「いえいえ、私どもにとって弥兵衛さんは宝物のようなお人どして、先の西陣の大火の折りには、いち早く炊き出しをされたんどす。そんな災難におうたお人らを救った功で、この大黒屋に奉行所からは感状を下され、内裏からは丹波掾と言う官位まで受領したんどす。このお陰で、店は大層繁盛させてもらっとります」 「そうどしたか。そんな話を弥兵衛はちっともしませんので、京で何をしとるのやら心配でした。それに、こんな綺麗なお人と添うなんぞ、考えもしませんでした」  智里が少しばかり顔を上げた。 「叔父さま、こんな紙問屋どすが、京のことで何か入り用がお有りどしたら、何でもお申し付けやすとくりゃす」 「へ、へい。それはどうも有り難うございます」  白無垢に包まれ唇の紅が際立つ智里の華麗さに、叔父が尻込みをするかの様に頭を下げていた。 「ところで不動寺の住職のお隣に座ってはるお人は、どないなお方どっしゃろ。なんやお若いのに、どことのを貫禄がそなわってはるんやが」  向かいに座る紙問屋仲間の一人が、扇子で口元を隠しながら町内の者に聞いていた。 「わても詳しいことは判らしまへんが、頭丸めたはるお人は、按摩と鍼灸で摂津の方では売り出し中やそうどす」 「ほう、医者どすか」 「それで、その隣のお人は、なんや上雑色五十嵐家の名代で来たはるようどすな」 「へー、五十嵐家の名代どすか」  聞いた男が、目をむく様にして、源四郎を見つめている。 「ほれ、床の間の左手に祝いの酒樽が置いておまっしゃろ。あれに五十嵐家の名が書かれておますやろ」 「ほんまや。ほな弥兵衛はんは、あの五十嵐家とどないな関わりがおますのやろ」 「そこまでは、判らしまへん」  町内において弥兵衛は、田舎の村で村年寄をする家の息子で、京には見聞を広めるために来ているとしか思われていない。それで、西陣の大火の折には、直ぐさま炊き出しをして、被災した人々を助けたことは知られている。ただ、その功は自らで無く大黒屋に取らせ、それが大黒屋の主人に認められ入り婿とは言え、大店の若主人になったと見られている。そんな弥兵衛に源四郎や清玄、なおかつ五十嵐家との関わりなど、まったく知られていない。況して、その裏にある闇の剣士は、現世とはかけ離れたことであり、巷では理解の域を超しているのだ。
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