今日から僕は小説を書く

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 今日から僕は小説を書く。  手元にはなけなしの小遣いで買った、文字を書く以外何も出来ない機械であるポメラがある。30000円もした。  これで、将来読む人が滂沱の涙を流すような小説をバンバカ書くつもりだ。今「滂沱」の意味が正しいか不安になって調べようと、スマホを開いて……  ああだめだだめだ! こうやって、ずるずると集中を失ってまた遊びふけるのだ僕は。書くのだ。書かねばならない。  まず何を書こうか。案はいっぱいある。小説として書き始められなかっただけで、僕はいくらでもアイデアは思いついているのだ。メモだってふとしたときに、メモアプリに書き留めている。  僕はただ引きこもっていただけじゃない。ちゃんとこの日につながる毎日を過ごしていたんだ。  ずらりと並んだ僕の創作タイトルを眺めて、これはと思うものを選ぶ。これは最近思いついて、設定を煮詰めていた作品だ。  ファンタジーな世界観で、珍しい異能を持つ人たちが集まる学園が舞台で、でも主人公は……そんなに強くない。ここで安易に俺ツエーは面白くない。でも、能力の本質が一人だけ違うから、主人公にしか出来ないことが出来て……そんな大長編だ。  僕が初めて書く小説としてふさわしい面白さだろう。  本当は、もっと短編を書いた方が良いのかな、と思う。ネットで何度も調べたハウツーによれば、最初はまず短くても完成させることが大事、と書いてあったから。でも僕は長編を書くことにした。  考え無しにそうしたわけじゃない。僕は今日まで、作家になろうなろうと思いながら、何も書けずに3年親のすねをかじってきた男だ。収入もないのに、こんな文字しか書けないガジェットを30000円出して買ったのは、自分の退路を断つためでもある。  だからこそ、何よりも重視するべきは自分の書きたいというモチベーションを高く保つことなのだ。  自分がいなければ世に出ない、自分の頭の中にだけあった話。それを手元で形作るのが、小説なのだと勝手に思っている。むしろ、これで書けないのならば僕は作家には絶対になれないのだ、と諦めることが出来る。現実に向き合うことが出来る。  だから僕は、今日から……いや今から、小説を書く。書くんだ。書くぞ!  さすがに、出だしで迷って何も書けない、なんてことにはならなかった。むしろ、カタカタとスムーズにキーボードを叩けている。やっぱり、自分には小説の才能があるんだと思った。    しばらく集中しきって、結構書いたな、と思って画面の右下にあった時計を見る。1時間ほどが経っていた。  これは、初めてにしてはすごくいい出だしだと自画自賛出来るんじゃないか? 初めてで1時間も集中できたんだぞ?  誰に言うでもなく口ずさむ。  そうだ、何文字くらい書けたのかな、とファイルのプロパティ画面を開く。プロは1時間にだいたい3000字くらいだとネットで見たから、1500字くらいは書けてるのでは。  ――――総文字数 : 857。  その文字列を見たとき、僕は確かに落胆していた。初めてならこんなものだ、そもそも僕は話の内容を考えながら書いていたのだ、ペースが遅くても仕方が無い……そう自分を慰める声が頭に浮かぶ。  だがこの時、僕は目が覚めてしまったのだ。おそらくは。  僕は、いつか自分の小説を、ライトノベルなんかの新人賞に応募することを考えていた。応募要項もよく読んだ。原稿用紙300枚分が平均で、ということは文字数は120000字くらいが上限で、段落もあるから100000字に届かないくらいが目安で……そういう風に情報を仕入れていた。  1時間で書いたのが857字。文庫本1つ分が完成するまで、あとこれを100回以上……。  いやいや! いくら何でもこれで諦めるのはないだろ!  僕は自分に活を入れた。今日は初めてだったんだ、これから毎日続けていけば、どんどんこなれてきて、書くのが日常の一部になっていくんだ。むしろ、ちゃんと書き出せただけでも、世の中の作家志望の中でもすごい方じゃないか……。  そういう思考をし続けようと努力する。だが同時に、こんなことも考える。  こんなことで沈んでいるようなのが、作家なんて向いてないんじゃないか? 世の中の作家が悩むのは、ストーリーや構成だろうに。将来作家になるらしい僕は文字数に絶望している。  笑い話にもならないな、ええ?  どんどん、ネガティブな考えが浮かんでくる。  どうせ、お前が作家になろうとしたのは、小説なら日本語さえ分かれば書けるからだろう? 本当に自分に表現者としての才能があるのなら、絵の練習をして漫画を書くなりほかの選択肢があったはずだ。そもそもお前は小説がそんなに好きじゃないんじゃないか? だいたい……  スマホの、通知音が鳴った。居間に居る母が、夕食の支度が出来たとメッセージを送ってきていた。  ……そうだ、だいたい今日一日で何が分かるって言うんだ。ネガティブな考えなんて、明日になれば忘れているものだ。今日は初めてだったから、いろいろ不安になってしまっただけだ。  何はともあれ、今日僕は確かに一歩踏み出したのだ。明日になれば続きを書いて、それを続けて。それでいつか完成するじゃないか。  僕は体を起こし、ポメラを横に置いた。
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