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 部活は雨のため、今日のトレーニングは体育館でのダッシュなどの筋トレにあて、ある程度が過ぎたら解散となった。普段ならこの後に棒を持って駆け出す。踏切を超えて、ジャンプをする。空で一回転身体を捻ると、青い空が上から落ちてくるように。私は今まで、これさえしていれば色んなことが吹っ飛んでいた。なのに、今日みたいな日こそ。跳んでしまいたかったな。  練習が室内だけだったため、普段よりも1時間も早く終わってしまった。靴箱に行けばいつもタマキがいるが、今日は居ないだろうなと思い、少し気分が落ち込んだ。そのまま帰宅するのも嫌になり、誰も居ないはずの教室に戻ってみた。 「やあ、コウ」  タマキは窓枠に腰掛けて、いつもより少し下を向いたまま教室に居た。  私は返事をせずに、忘れていないものを探すために自分の机に座った。 「教室で話すのはもしかすると初めてかもね。」とタマキは下を見ながら続けた。「ああ」と短く返事をしたが、沈黙が続かなくて済んだと少しホッとしていた。 「雨が止むまで帰りたくないな。コウ、そう思う?」 「いいや、早く帰って、家でゲームでもしていたい。雨の日は特にね」  そう言いながら、自分の声がいつもの調子に戻り始めてると思った。 「そうか。私は、コウとこのままここで夜を過ごせたらいいのにと思う」 「夜は特に何もないのが教室というところだよ、タマキ。それに、床で寝るのは嫌だね」  スラスラといつもの調子で文句も出てきた。「悪かった」って言葉が喉元まで出てきそうで、この後にでもさらっと言おうと思った。 「私、明日には居なくなっちゃうんだ。だから、一緒に居てよ」  そういうと、タマキは綺麗に笑った。  さっき言おうと思った「悪かった」が雪だるまみたいに転がって大きくなっていった。  口から出ることができないくらいに。  ★★★★★★★★ (タマキ、もっとそっち) (ちょ、コウ動かないでよ)  ガラッと音がして、警備員が教室の確認をして扉を閉めた音が聞こえた。 「あぶなー……」  と大きな声を出しかけたタマキの口を思いっきり抑えた。こんな夜の時間だ。話し声がするだけでさっきの警備員はすぐに戻ってきてしまう。しばらくは小さな声にしてもらいたいものだ。 (さすが、慣れてるね) (慣れてないよ)  タマキはそれを聞くとクスクスと笑い出した。  教室のあかりは無く、日が沈んでからの不気味さはひとしおであった。怪談話でもしていれば、それはそれで凄い恐怖感だったと思う。ただ、タマキと一緒にいるせいで、その雰囲気が一切感じられない。 「私たちって銀河の一部なんだよなーってたまに思うの」  いつの間にか雨が止み、曇り空が消えて、空に月や星々が見え始めていた。タマキは窓際に立ちながらそれを眺めて言った。 「大きな、銀河のその中の一部の系の惑星の中の大地の上にいるヒトなんだよな。本当は」  タマキの言っていることのスケール感が大きくて私には想像ができなかった。 「それでね、その銀河の中心には必ずブラックホールがあると言われているのよ。その銀河を引きつけるほどの力で居るのね。私たちは何もかもそれに引っ張られてるのかしら」  そんな随分と向こうの宇宙の話に頭がついていかなかった。もしそうだとしても、私は構わないとも思えた。 「でも、いいじゃない。人なんか本当は見えてることだけやればいいんだよ。だから、私はいつだって私が中心に回っている」  私は思ったことを素直に口にした。 「やっぱり、私、コウが好き」  今日一番可愛い顔を見せて、タマキはそう言った。 「なあ、明日居なくなるって、どうしてそんなに急なんだ」  すぐに聞きたかったことをようやく聞ける気がした。ちゃんとタマキが私に話してくれると思った。 「私は銀河になるんだと思うの」  また、いつものやつか。できれば、本当のことを聴きたかった。冗談で乗りたくないなと口の中で言葉を紡いでいたら、タマキは慎重に眼帯を外しはじめた。  眼帯の向こう側にはタマキのくるりとした目はなく、小さな真っ黒とその周りに赤い靄が渦巻いていた。 「これ、降着円盤よ。」 「コウチャクエンバン?」  聞き慣れない単語のせいで、ただ同じことを繰り返してしまった。 「私の身体になぜか、特異点ができてしまったみたい。そのうち、私の身体は特異点に集約されていくわ。若しくはもうそうなのかもしれない。時空が歪んでいるのよ。程なく、この太陽系を私は飲み込むことになってしまう。だから、大急ぎで、私をどうにかしなければならないの」 「…人間にどうして、そんなものが。」 「でも、そうとしか言えないのよ。ほら。この靄は私の身体の一部だと思うの。渦を巻いてるの。人類の何よりも速い速度で渦巻いているわ」 「でも。そんなの、タマキは生きてるじゃない!」 「さっきも言ったけど、私の時空は歪んしまっているのよ」 「そんなの、理屈に合わない!だって、そうじゃなければ、こんな風には、目の前にいれないだろ?」 「史上、人類は一度もイベントホライゾンの向こうに行ったことが無いの。ここがそこなの。つまり、どんな物理現象も説明できないところよ。時空が伸び切ってるのだから」  私にはタマキの言うことが分からない。天文学の知識もない。だけれどこの異様な状況を淡々と説明してくるタマキが嫌だった。理屈も事情もどうだっていいと。 「わかった」 「うん」 「私も行く」 「え?」  タマキを初めて驚かせてやった。  私は行く。  もう、この先のすべての未来を、私の向こうにあるはずだった人生のイベントを全てを賭けてやる。 「タマキの、その銀河になる」 「意味がわからないよ。コウ」 「なに、簡単なことよ。一人で何処かに行かされるのよね? 私もついていく」 「馬鹿っ! 私はコールドスリープされるわ! 生命体としての扱いは今日で終わりなのよ。人類が出来うる限りの遠くに飛ばされるの!これ以上ないくらい遠くへ、そうしなければならないから。私が持っている特異点による重力の影響が出る前に、なんとしてもよ! それに、今の私たちの会話も、今いる私の場所もすべて把握されてるの! どんな手段をこうじても、私を人類から遠ざけるわ。だから一般の人がどうこうできるレベルを超えてるのよ」 「そう、だから? でもね、私は嫌なの」  今度は、スピードを緩めない。絶対に、超えれる。 「何も分からないのよ、私には。でも、出来そうなことがあれば、それをするわ。あなたのその眼の中に私は行くの」  人類が誰もしたことが無いことなんでしょう?今こうやってタマキが目の前にいるのなら、きっと私にも。 「やだ、辞めてよ。コウ。そんなつもりじゃ無いの。そんなつもりでこんな時間をもらったわけじゃないの」  タマキは顔を覆ってしまった。  バカな子だ。打ち明ける相手を見誤ったのよ。私はタマキが好きなのよ。そうして、私は棒高跳びが好きなのよ。やる事はいつも同じ、踏切を越えて、あとは思いっきり。 「タマキ。さよならじゃないでしょ? だから、一緒にいよう」  私はタマキを抱きしめた。タマキは私を拒否しながら泣き喚いた。小さな弟みたいな、抵抗だった。そんなものは、抵抗とは言わないのだぞ。  私はそっとタマキの頬を撫でた。鼻をすすってタマキは片方の目で私を見つめた。 「タマキ、別に良いのよ。そうして、私に逢いに来てくれて、ありがとう」 「うん」  私はそのままタマキの眼に指を伸ばした。真っ黒いソレに。  ★★★★★★★★  宇宙開発機構はその日、マスコミに発表をしていないロケットを打ちあげた。冷たくなったタマキを載せて、カプセルに詰めたロケットはすでに大気圏を抜けていた。管制センターでは打ち上げの成功に対して誰も喜びを示していなかった。モニター上のそのロケットである光の粒は少しずつ地球圏を離れ始めていた。載せれる限りの燃料を詰めて、太陽系の外へ向けて出発させたのだ。 「条件によっては理論上は質量に関わらず特異点ができると。それは理論値であったはずなのに——」  画面を見ながら、高年の男はつぶやいていた。  モニターの横の小さな画面には最後のタマキの姿が写っていた。タマキとコウは抱き合っているようにも見えた。コウが実態であるのか歪みによる錯覚かは分からなかった。コウの姿はほんの少しだけ赤く光り始めていた。  彼女達は、宇宙になっていったのだ。あとどれくらいかはヒトにはわからなかったが、この、宙域の近くに大きな円盤銀河が出来上がるのかもしれない。太陽も、星も、月も、地球も、落ちてしまうほどの。
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