2 槇村啓一郎の回想 入隊式

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2 槇村啓一郎の回想 入隊式

「われわれはきさまらの入隊を歓迎する。ようこそ各務原基地(地獄の入り口)へ。新兵訓練係を仰せつかった五十嵐(いがらし)大尉だ。よろしく」  基地の練兵場は砂利の点在する荒涼とした運動場である。周辺の自治体から法的に強制されるかたちでかき集められた若者たちが二列横隊で整列し、教育を任ぜられた教官を前にして謹聴のかまえ。  誰もが徴兵された者特有の不機嫌そうな表情を滲み立たせており、みな一様に口をへの字に曲げている。  大学二年生に進級したばかりの槇村啓一郎もそのなかにいた。中高とも勉学に打ち込んできた彼は、生まれてこのかた荒事に直面した経験はなく、典型的な超縦割り社会と悪名高い軍隊のやりかたに戦々恐々としていた。  だいたい二人称が〈きさま〉である時点で気ちがいじみている。 「いま、きさまらはこう考えている。『なぜ俺がこんな茶番に付き合わされなけりゃならんのだ』と。答えは簡単だ。きさまらは若く、そして運が悪かった。それ以外に理由はない」  五十嵐大尉はほんの数瞬、慈愛に満ちた表情を垣間見せた。 「だが不満たらたらでこの場に突っ立っているきさまらは、少なくとも正直者か貧乏人のいずれかであることだけは俺が請け合おう。知っての通り、巷では兵役を忌避する不逞の輩が後を絶たんのだ。連中は言葉巧みに従軍できない事情とやらを捏造する。やれ宗教上の理由で人殺しはできんだの、やれ身体的な障害があるだのとな。わが国は法治国家であるし、国家総動員法はれっきとした法律だ。本来であればこういう抜け作どもは問答無用で徴発してやるべきなのだ。ところがまことに遺憾なことに、同法律には多数の抜け穴が用意してある。連中はそこを突くわけだ」大尉の胸が心持ち膨らんだ。「国難を利用して儲けようなどと企む蛆虫みたいな弁護士を雇ってな!」  最後の文節はほとんど爆発したかのような調子だったので、マイクは音を拾い切れずにハウリングを起こし、耳障りな不協和音が長く尾を引く結果となった。槇村は海よりも深い後悔を噛みしめていた。壇上で喚き散らしている男はとても同じ人間とは思えない。どうすればあんな怪物と付き合っていけるというのだ? 「許されるなら、俺はなどと自称する抜け作どもと蛆虫弁護士どもの首をへし折り、死体を山にしてキャンプファイヤーの薪にくべてやりたい。その篝火にあたりながら飲む酒はさだめし忘れがたい味になるだろうよ。だが当面のところそれは最後の楽しみにとっておこう。いまはきさまらという哀れな新兵どもを一人前の兵士に鋳造するのが俺の任務だ」  槇村は骨の髄までビビっていた。首は動かさず、視線だけで周りを盗み見る。ほかの新兵たちも教官の恐るべき演説を前に例外なく気後れしているらしく、しきりに足を踏み替えてもぞもぞしていた。誰もがこう思っていたことだろう。〈どうもどえらい組織に入っちまったようだぞ〉 「はっきり明言しておこう。軍隊は理不尽で、野蛮で、この上なく不愉快な組織である。きさまらシャバの若造はやれパワハラだのモラハラだの、挙句になんと言ったかね、正論ハラスメントだったかね。とにかくその手の与太を喚き散らしてるそうじゃないか。いいか、坊やたち、ここではそうした泣き言はいっさい通用せん! 命令には絶対服従、それが大原則だ――そこのおまえ! マヌケ面したおまえだ、前に出てこい。駆け足!」  相手の神経を逆なでする、意図的としか思えない緩慢な足取りで、一人の若者が隊列から進み出てきた。パワハラ、モラハラを臆面もなくやらかすと公言した鬼のごとき教官を前にしても臆することなく、彼は反抗的な目つきであごを突き出している。  槇村青年はわが身に降りかかった災厄であるかのように気が気でなかった。どんな理由があるにせよ、良識ある(はずの)大人同士が反目しあっているのを見るのは心を乱すものだ。 「姓名を申告しろ」 「檜山大介(ひやまだいすけ)でありまあす、上官どの」 「檜山少尉候補生、なぜ俺の面前に召喚されたか言ってみろ」 「知らないね」彼は肩をすくめてみせた。このバカバカしい茶番に付き合うのはもうまっぴらだとでも言いたげに。 「よろしい、歯を食いしばれ」  檜山少尉候補生がそうしたかどうか確かめもしないうちに、教官は新兵の横面を景気よくぶん殴った。予期せぬ衝撃だったらしく、檜山は木偶人形のようにダウンを喫し、なにが起きたのか理解できないといった様子で呆然と頬をさすっている。 「痴呆同然のきさまに変わって教えてやる。きさまはあくびを堪えるのを怠ったばかりか、バカ面を手で隠しさえしなかった。おまけに教官に向かってタメ口を利くという大罪も犯している。本来であれば軍法会議を経て即、絞首台にぶら下げるところであるが、初犯ということで修正ですませてやった。わかったか?」  檜山は頬をさすりながらよろよろと立ちあがったところだ。いまの一撃で口内が切れたらしく、不愉快そうに顔をしかめている。「わかりました」 「よろしい――総員括目!」反射的に全員が定規を通されたかのように背筋を伸ばした。「軍隊はかように理不尽な組織である。それでも俺はきさまらがこの基地で立派に速成訓練を修了し、一人前の兵士として旅立っていくことを片ときも疑わない。以上、解散、わかれ!」
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