3 本当の自分

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3 本当の自分

 悶々とした気持ちを抱えたまま過ごす日々。その虚しさは年相応の女性の生活とはだいぶかけ離れているような気がして、このままではダメだろうな、とは思うものの、だからといって特に行動を起こせるほどの決意は持っていない。ただ、なんとなく、このまま年老いていくのは嫌だな、ということだけは漠然と感じている。  もしかしたらアダルト動画なんかを漁れば少しは気が紛れるだろうか、などと考えてみる。性欲の問題とか、そんな単純なものではないとわかっていたけれど、ややこしいことを考え始めるとどこまででも拗らせてしまいそうだと思っていた。だからあえて、一番わかりやすい単純な解決方法を試してみたかった。  そして、何気なくネットで女性向けのアダルトサイトを見ていて、ふと、妙な違和感を覚えた。そしてその違和感が100%新規のものではないことにももう気づいていた。  ここらへんでやめとけよ、と思う自分がいる。でも、こんな今だからあえて踏み込んでみましょうよ、と思う自分もいる。もうわかりきっていることなのに今まで上手にそこを避けてきたのだからこのままいきたい、と思いつつ、こんな不毛な生活を送り続けるくらいなら新しいドアを開けてみたらいいのに、とも思う。そんなせめぎ合いをしばらく続けて、わたしは結局、動画の視聴を続けることにした。  結婚する前も、何度もそういうアダルト動画は観たことがあった。若い頃も、女友達と集まって、誰かの兄弟が持っていたアダルトDVDをこっそり持ち寄って鑑賞会したこともあった。その時は、ドキドキしたし、前のめりに食いつくようなことはなかったけれどそれなりに興奮して楽しんだ記憶がある。  その時のような素直な興奮を期待してサイトを渡り歩いているうちに、自分の興味がほぼ女性の身体に向いていることに気づいた。いや、改めて確信させられた。やはり、そこに行き着いてしまう。もう認めるしかない。  どの動画を気に入るかは、女性のタイプで決まる。女優の身体つきと、女優の顔、女優の声の出し方、女優の絶頂の迎え方。そういうのが好みの動画を大量のサンプルの中から探し出し、ひたすら観た。  そして、以前は感じなかった決定的な事実にぶち当たる。  男性の身体を直視できない。  モザイク云々とか、そういう問題ではないらしい。その画角や男優のセリフ、態度や声によっては、不快感が吐き気に変わる。そうなるともうダメで、ウィンドウを閉じるしかない。  今までマスキングしてスルーしていた隠し扉がいくつも露呈して、それぞれの扉の鍵がガチャンガチャンと大きな音を立てて解錠されていった。  小学校高学年の時に初めて好きになった人は、同級生の女子だった。  友達として普通に好きなつもりだったのに、わたしのその子に対する執着は度を超えていたようで、「あんた重い」と言われて避けられた。そして、その子が同級生の男子を好きだという話を聞いて絶望し、家に帰ってから次の日に学校を休むほど泣いた。  中学の時も部活が一緒の女性の先輩を好きになったけれど、また重たいと思われるのが嫌で、その想いは胸に秘めたまま卒業した。  高校では同級生の男子を好きになって、付き合うまではいかなかったけれど仲良くしていた。でも同時に女子の親友が出来て、その子と一緒にいるのが何よりも楽しかった。その親友に彼氏が出来た時、わたしはえも言われぬ喪失感に襲われて、日常生活がままならないほど落ち込んだ記憶がある。でもそのことを親友に言えないまま高校も卒業を迎えた。  大学時代、初めて告白されて彼氏が出来て、普通に付き合った。セックスもした。ちゃんと感じたし、それなりの回数を経て絶頂感も味わった。過去に同性を好きだったことなんて何かの気の迷いか勘違いだったのだと思った。初めての彼氏と別れた後も、違う男性と付き合った。でもその時は、サークルの先輩の女の人に焦がれる気持ちが見え隠れしていて、彼氏がいることを必要以上にアピールして先輩を想う気持ちを無理矢理隠していた。そのうちその気持ちを持て余すようになって、彼氏とも自然消滅的に別れた。  そして、大学を出て就職した会社で義郎と出会って、交際を経て結婚した。  自分はやっぱり普通だったのだ、と安堵した。自分の中でモヤモヤと燻る違和感を否定したくて、とにかく早く男性と交際して結婚したい、という願望が叶ったのだ。  かつて何度も同性に惹かれていたことなど全て錯覚だったかのように記憶を改竄して、マイノリティかもしれない可能性を封印した。当たり前のように子どもを作って、このまま普通に暮らしていけると思っていた。それなのに。  自分の中で膨らむ、リアルな男性に対しての嫌悪と、女性に対しての興味。今まで自分でも気付かないように心の奥の奥に押し込めていた感情。男の人を好きになれるし、セックスも出来る。だからわたしは同性愛者ではない。心のどこかで自分にそう言い聞かせて生きてきた。  でも、それでは、この女性に対する興味はいったい何だというのだろう。  義郎には相談できるはずもない。会って話すのも嫌だ。  常に交友関係や交際問題に面倒を抱えていたわたしは、ずっと仲良くしてきた友人がほとんどいない。悩んだわたしは、大学時代の後輩で仕事でも繋がっているマコトを飲みに誘った。義郎のこともよく知っている、気の置けない貴重な友達だ。マコトは彼氏持ちなのと、彼女に対してはそういう下心が一切ないのとで、色々と相談できるかも知れない。  仕事終わりに待ち合わせをして、気楽に長居できる居酒屋を選んだ。 「槙さんとふたりで飲むのめっちゃ久しぶり」  確かに最近は仕事では会っていたけれど、プライベートでは全然交流がなかった。色々あって、それどころではなかった。 「体調はもう完全に元どおり?」  流産の一件は報告してあったけれど、その後の経過については何も伝えていなかったことに気づく。 「ごめん、そうだよね。何も報告してなかったね。ごめんね、もう大丈夫。ありがとね」 「良かった。じゃあ今日はジャンジャン飲もうー!」  普段と変わらない雑談をしながら食事をして、お酒も入って気分が緩んで来た頃、少しずつ義郎との顛末を暴露し始める。そして、夫婦関係はもう破綻していることを告白した。  マコトは驚いていたけれど、茶化したり非難したりすることもなく、ただ情報を淡々と受け入れてくれていた。 「義郎さんって、大人っぽくて率先力あってかっこいいけど、遊んでる噂あったよね。あたしの周囲でも聞いたことあったよ」  わたしの勤めている出版社とマコトのいる広告代理店は昔から密な取引があって、双方の社員たちの交流はかなり盛んだ。 「わたしが付き合う頃には一応真面目になってたんだよ。そうじゃなきゃ付き合ったり結婚したりできないよ」 「まぁそうだよねー」  3つ年下の25歳のマコトとは、学生時代からなぜか気が合った。サークルの後輩だったので一緒に飲む機会がたくさんあって、昔から色々な話をした。今でもその間柄は健在で、この調子ならもう少しディープな話もできるかもしれない、と期待をした。  だいぶお酒が入ってリミッターが外れてきたころ、さりげなく下ネタへと話題を誘導し、とうとうコアの部分にまで踏み込んだ。 「わたし、このままじゃ一生誰とも触れ合えない気がする」  ほんのりと赤い顔をしたマコトは、愛嬌のある笑顔をふにゃっと歪ませて、少しイタズラっぽい表情を作る。 「そんなこと言ってぇ、みんなすぐに次に行けるから、だいじょーぶだよぉ」  次に行くには、わたしの場合はまず離婚しなくてはいけない。それはそれで面倒なのだけど、今の状況から脱するにはもうそれしかないのかも知れない。 「それ言ったら、あたしも今、同棲してるカレシとは超マンネリ。セックスももう同じことばっかりで飽きちゃったし」  運良く、マコトが先にセックスの話題を出してきた。 「そうなの? でも別れるつもりはないんでしょ?」 「んー、まぁね。好きは好きなんだよね」  わたしはマコトの話を聞く雰囲気を壊さないようにしながら、話のネタをさりげなく性的指向に関連する話題に移行させる。 「わたしはなんかもう、男の人いいや、って感じ。ある意味、トラウマ。テレビとか観てても最近は女の人ばっかり目で追っちゃう。かわいい人とかスタイルいい人とかいっぱいいるし。わたし、アダルト動画も女の人だけ出てればいいのになーとか思っちゃうよ」 「キレイな女性に目がいくのは当たり前じゃーん、羨ましいし、あこがれるし、あんなふうになりたいなぁーとか思うよねぇ」  マコトはごく軽く同意した。でも、わたしは思い切って、ああなりたいと思うのではなく、触りたい、抱きしめたい、抱きしめられたいと思うのだと告げた。酔った頭で一生懸命考えるマコト。そして、ひとこと。 「槙さんってバイなんだ?」  どきりと心臓が大きく跳ねた。自分でそういう話をしたいと思っていたくせに、いざそうなると、このとてつもない罪悪感や恐怖感は何なのだ。  バイ。バイセクシュアル。  言葉は知っていた。異性も同性もどちらも恋愛対象になる人。頭では知っていた。でも、自分が、バイセクシュアル?  自分は、誰かを好きになる時に、男性だからとか女性だからとかいう選び方はしない。ただ、その人が男か女かを考える前に、人として魅かれて、人として好きになるだけだ。結果的にその人が男だったか女だったかは、選ぶ時点では自分にとっては問題ではない。そうマコトに言うと、だからそういうのをバイっていうんでしょ、と指摘された。 「あ、でも、人として、っていう部分をピックアップするなら、もしかしたらパンセクシュアルっていう可能性もなくはないのかもよ?」  バイセクシュアル。あるいは、パンセクシュアル。まさか、わたしが?  状況や定義を挙げ連ねてみれば、確実にそっち側だと思わざるを得ない。否定できる要素が何もない。  こういう結論になるだろうな、ということはなんとなくわかっていた。微かに期待をしていた。でも、いざこうしてはっきりと言われてしまうと、素直に受け入れてもいいのだろうかと不安になる。  マコトの感性が差別的要素を持っていなくて、柔軟な解釈ができる人だということは分かっていた。LGBTQIA+関連の仕事に携わっていたのも知っている。だから、今日、誘った。でも、こんなにあっけなく答えが提示されるとも思っていなかった。  マジョリティではないかも知れない、ということを自分の中でも否定して目をつぶって生きてきた結果、ここまで明確になっている事実を受け入れることもできないほど根性がねじ曲がってしまっていた。  これは今からでもどうにかしなくてはいけない。このまま逃げ切れる問題ではないと、頭ではわかっている。  酔いのせい、と自分に言い訳をしつつ、それからのマコトとの会話はかなり上の空になっていたように思う。感情も含めた情報量が多過ぎて、ふわふわと(うわ)ついた自己認識は着地点を完全に見失っていた。  彼氏が待ってるから、と終電よりだいぶ早く帰っていくマコトの後ろ姿を見送りながら、わたしは深呼吸をするふりをして大きなため息をついた。
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