6 ふたりぐらし

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6 ふたりぐらし

 同居を始めて2ヶ月が過ぎ、口では、住むところ探さなきゃ、と言いつつも、本気で動くつもりはなくなっていた。それでもただナツコさんに甘えているのが嫌で、出来る家事を率先して受け持ち、生活費も、そんなに入れなくれいいよ、と言われるほど入れた。  ある晩、夕食後に晩酌をしながらナツコさんが呟いた。 「あーあ。こんな穏やかで楽しい日々が続くといいなぁ。これでセックスの相手さえいればパーフェクトなんだけどなぁ。槙が男だったらなぁ」  いつの間にか呼び方が『槙ちゃん』から『槙』に変わっていたことに、今さらながら気付く。  胸が痛んだ。ナツコさんはセックスの相手を欲しがっている。多分、普通に、男性に抱かれたいのだろう。わたしは女で、ナツコさんを抱くことは出来ない。 「……彼氏、作れば?」  心にもない言葉が漏れる。 「彼氏なんて出来たら槙がここに居辛くなるでしょ」  そう言われて本当は嬉しい筈なのに、自分のせいでナツコさんが我慢しているのは不本意でイライラする。 「わたし、出ていくし。部屋探してるし」  不思議そうな顔をしたナツコさんが、わたしをじっと見た。実際に部屋を探しているような気配はないからだろう。 「出来るだけ早く見つけるから」  そう言い切るわたしをナツコさんは少し憮然として(たしな)める。 「そんなことしなくていいから。いらないよ彼氏なんか。少なくとも今はね。今はこの生活気に入ってるし」  どうしてこんな自分に親切にしてくれるのだろう。  同情? つい助けて、後に引けなくなった?   弱ってる野良猫を拾ってしまって、仕方なく飼うことにしてしまった感じだろうか。野良猫は、元気になったらまたフラリと出て行くものだ。 「いいよ。じゃあ、彼氏が来る時だけ外出するようにするから、いつでもどれだけでも彼氏作りなよ」  我ながら、可愛くないな、と自己嫌悪する。  ナツコさんは機嫌を損ねたように黙り込んで、それから片付けをして寝る時までほとんど喋らなかった。  そういえば、と思い出す。  義郎と別れる時、平謝りだった義郎がひとつだけわたしに忠告をした。 「槙はちょっと気を張りすぎ。何をしてても常に緊張してて、隙がなさすぎ。もうちょっと『適当』を覚えないと早死にするぞ」  その時は、自分の緩さを棚に上げて何を、と思って、余計なお世話だと言い返した。でも今なら少しわかる。こういう、0か100か、黒か白か、みたいなところが可愛げがないのだと思う。  次の日の朝、食卓で向かい合って食事をしながら、わたしはあえて昨夜の話を蒸し返した。酔った勢いではなく、素面(シラフ)での意見を聞きたかったからだ。 「本当に彼氏作ればいいのに」 「この歳で彼氏とか、そう簡単じゃないの。それに、男は……正直、懲りたかな」  男は懲りた。  じゃあ女なら? と言いかけて、やめた。多分、そういう問題ではない。 「じゃあセフレなら? ナツコさんならまだ余裕でイケるんじゃない?」 「バカ言ってんじゃないの」  もしナツコさんにセフレが出来れば、自分との今の生活はこのまま継続してもらえるだろうか。セックスだけ他の人に譲れば、その他の部分は自分にくれるだろうか。そんな勝手なことを考えて、すぐに思い直す。  まさか。きっと、最初はセフレのつもりで付き合ってても、情がわいて、いずれ普通のカップルになっていくかも知れない。きっとそうだ。  ナツコさんが先に出勤する時に、玄関でもう一度、最後のつもりで声をかける。 「ナツコさん。ほんとに。わたしに遠慮してるならやめて。男の人が来ても、わたしマコトのところとか行けるから」 「いいかげんにしなさい。あのね。あたし、男は懲りたって言ったでしょ。散々痛い目に遭って、もう面倒なのは嫌なの」 「だって、昨夜、セックスしたいって……」  靴を履くためにこちらに背を向けていたナツコさんが、ゆっくりと振り返ってわたしを正面から見据えた。  玄関ホールに立っているわたしより三和土(たたき)にいるナツコさんの方がまだ背が高くて、こんな状況なのにこっそり身長差を堪能してしまうわたしは少し変態じみているな、と思う。 「セックスはしたい。そりゃ、普通の女だもの。でもね、実際に男と寝るのは今はしんどい」  きっと、嫌なことを思い出させている。でも、どうしてもスルーできない。  ナツコさんが大きなため息をひとつついて、腕組みをした。 「前の結婚相手とは、子どもを作るためだけのセックスを毎月続けたの。何ヶ月も。毎朝毎朝どんなに寝ぼけてても無意識に体温計を口に突っ込んで基礎体温を計って、排卵日を狙って、男の精液を注ぎ込まれて、それが流れ出ないようにセックスの後に壁に足立てかけて逆立ちみたいな間抜けな格好して30分とか待つの。アホでしょ。頭おかしいでしょ。でもそんなことをさんざんしても出来ないものは出来なくて、いざ病院に行ったら今度は診察台の上で股開かされて、大勢の人が見てる前でカチャカチャといろんな器具を次から次へと突っ込まれて。妊娠できる可能性を調べる検査なんて、人の命の成り立ちを数値やマルバツで評価して、まるで実験動物にでもなった気分。カーテンの向こう側で、あたしが大股開いて全部曝け出してる向こう側で、看護師たちが普通に夕飯のメニューとか芸能人のゴシップとかの世間話しながら笑ってるとかね。シュールだよね。痛いし、恥ずかしいし、悔しいし。あたしにとって、セックスは夢の塊。でも性行為は……そうだな、拷問。辱め。苦痛でしかなかった。過程も、結果も。だから、今はセックスの相手としての男はいらない」  途切れることなく一気に話し切ったナツコさんは、何か吹っ切れたような、いっそ潔いほどの眼差しでまっすぐにわたしを見つめていた。それを見て、なぜか自分が失言でもしたかのような後ろめたいような心苦しさに襲われる。 「ごめん、生々しい言い方するよ。セックスしたいって言ったのは、フィジカルな、挿れて動かしてイッて、っていう行為そのものがしたいって言ったんじゃなくて、自分好みの愛情行為をしたいって思ったの。なんならキスとかハグだけでもいい。だから、昨夜はお酒も入って、ちょっと気分が大胆になってあんなこと言っちゃったけど、彼氏は今は作らないしセフレもいらない。もしあんたとの同居が難しくなったら、ちゃんと伝える。余裕持って、部屋探す手伝いもする。万が一、男連れ込むようなことになったら、あんたが路頭に迷わないようにしてからにするから。だから今は余計な心配しなくていいから」  少し怒って出て行ったナツコさんを黙って見送ってから、パソコンを開いてネットで検索をかける。  男性恐怖症。性嫌悪症。女性性機能障害。どれも概念が曖昧で、重なっている部分もある。ナツコさんにあてはまっているところもあるし、そうでないところもある。  では、わたしはどうだろう。  しばらく色々なワードで検索をかけてから、全てがめんどくさくなってパソコンを閉じた。特性や症状に名前が付いたところで、どうだというのだ。何が解決するというのだ。  わたしが求めていることは、きっとそういうことではない。
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