7 リアルを知ること

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7 リアルを知ること

 ナツコさんとの言い争いに決着がつかないまま数日が過ぎた頃、我が編集部はとある大きなイベントに関わることが決まった。LGBTQIA+の大型セミナーイベントで配布する冊子の編集を、自分の所属する編集部が隣の姉妹誌の編集部と共同で任されたのだ。  ナツコさんの会社が数年前から関わってきているそこそこ大きな全国イベントで、昨年度までお願いしていた出版社がなくなってしまったので今年からやってもらえるところを探していたのだという。うちの出版社は娯楽雑誌が多く、バラエティ豊かな分野のノウハウがあるので、是非にと依頼された。  イベント主催チームや広告代理店との打ち合わせは着々と進み、今年のメインテーマが『家族』に決まった。編集会議を経て取材段階に入り、実際にセクシュアルマイノリティであることをカミングアウトして社会で生活を送っているカップルたちに取材をすることになった。  全部で5組の事実婚夫婦や恋人たちを取材していくうち、この世の中で性的少数者がどういう事を思いながら何に苦労して暮らしているのか、リアルな実態を目の当たりにして気が引き締まった。特に印象に残ったのは、事実婚生活を送る女性カップルが、どうやったら自分たちの子どもを持てるのかを真剣に話し合っていたことだ。  一緒に雑貨店を営みながら同棲している女性同性カップルのあやめさんと由乃(よしの)さんは、パートナーとしてはどちらが男役でどちらが女役、という役割分担はしていない。なので、どちらも子どもを産みたいと思っている。養子は現時点では考えていない。あやめさんはレズビアンで、由乃さんはバイセクシュアルだ。  それなら、バイの由乃さんが誰か信用できる男友達に事情を話して子づくりに協力してもらうか。でもそれではビアンのあやめさんとの血の繋がりがない。どちらとも血の繋がりがある子を望むなら、あやめさんには弟がいるので、では由乃さんとあやめさんの弟とで子どもを作るか。いくら子どもが欲しいからと言って、好きでもない人と子どもを作る行為が出来るのか、由乃さんなら男性を好きになる可能性もあるのであやめさんの弟を本気で好きになってしまうことはないのか、そういう前提でそういう関係を持つことにあやめさんは抵抗がないのか、それならあやめさんの弟から精子提供を受けて体外受精をするか、あるいはいっそ海外でふたりとも精子提供を受けるか……。  欧米では、気の合うビアンカップルとゲイカップルがそれぞれ異性同士で契約結婚をしてみんなで暮らして、そこでちゃんと子どもをもうけてみんなで育てているケースもあると聞く。そういう関係を見据えて同じ想いの男性同性カップルを探すか……。  彼女らはそういう話を本気で考えていて、望む形の家族を手に入れる過程が本当に困難なのだということを思い知らされた。そんな自分たちの生活スタイルの難しさに加えて、日本の法律上での社会的支援の及ばなさ、偏見、差別、家族との確執……そういうものと日常的に対峙して常に闘っているのだ。一見、幸せそうな温かい家庭を築いたカップルに見えるけれど、その中身はみな壮絶だった。  数日かけて取材を終えて、わたしたちは先ほどまでの未知の世界の日常を目の当たりにした興奮と混乱と戸惑いと、そんな複雑な思いをうまく消化しきれずに脳内が飽和状態で、全員もれなく疲れ果てていた。  わたしは自分が当事者にも関わらず、本当に知らないことだらけで驚いてしまい、かなり自己嫌悪に陥っていた。他のメンバーも、当事者ではないにしろ、自分たちが関わろうとしていた世界の奥の深さに驚いただろうし、困惑したこともあるのだろう。まともな言葉で会話ができないほど完全に疲弊しきっていた。  そして、誰が言い出すでもなくフラフラと居酒屋に吸い寄せられていった。 「バイの人って、人生の楽しみがストレートの人の2倍って思えば羨ましいっすね。同性も異性もイケるって、一度で二度美味しい的な」  取材に同行していた佑理が口を開いた。  みんな頭が働かず、飲み物を選ぶのにも苦労したくらいだったのだけれど、注文したものが出揃った頃にはやっと少しずつ落ち着いてきていた。 「なんでそうなるかな。じゃあ、あんたは女の子好きだろうけど、同時に2人の人を好きになるのか? バイの人は、恋愛対象が2種類になるだけで、2重になるわけじゃないでしょうが」  ナツコさんが佑理の発言を一刀両断する。まだ脳内が興奮状態なのか、いつもに増して饒舌な彼女は口が止まらない。 「むしろ逆でしょ、異性愛者同士なら相手が異性である自分を好きになる可能性は五分五分だけど、バイの人の場合はヘテロを好きになっちゃったら、相手が自分を好きになる可能性はほぼゼロだからね。バイにしろゲイにしろ、同性を好きになれてなおかつ自分を好きになってくれる人を見つけなきゃいけないって、確率かなり低いよね。そういう意味では、上手くいく可能性はノンケの人より全然低いと思うけど」  ナツコさんが持論を展開する。的確すぎて口を挟めない。  ほぼゼロだからね、という言葉が延々と頭の中をリピートする。というか、ナツコさんがそれを言うのか……と絶望感にも似た胸の痛みを感じたけれど、それはわたしひとりの問題で、当然誰も気づくはずもない。もちろん、ナツコさん本人ですらも。 「あー、そうか。そうっすね。確かに」  佑理は驚くほどあっさりとナツコさんの持論を受け入れた。 「同性が好き、なんて、あたしからしたら、あんたが年下が好きとか巨乳が好きとか靴下だけ履いたままセックスするのが好きとか、その程度のこととあんまり変わらない気がするけどね」 「うわ、なんすかその不確かな情報は」  若干強引な理屈だけれど、ナツコさんがセクシュアルマイノリティに偏見を持っていないのだということはよくわかって、密かにホッとした。 「しかし、セクシュアルマイノリティの人ってしんどいだろうね。だって、マジョリティのあたしですら、ようやく見つけた相手とも上手くいかずにこんなことになってるのに。ただでさえ選択肢が減ってしまうマイノリティの人は大変だろうなーって」 「さすがナツコさん。態度もオープンだけど、思想も広いっすねー」  佑理は見た目も話し方もチャラいけれど、頭の回転は遅くないし会話もポンポン進むので、割と年上の上司や取引相手に気に入られたりするタイプだ。 「別にマイノリティに偏見なんてないよ。今どき珍しくないでしょ。昨日上がったデータ見た? セクシュアルマイノリティの割合。出どころによってバラつきあるけど、日本では10人から13人に1人だって。左利きの人と同じ割合。クラスに2人くらいは居る計算よ。実際、仕事関係でもカミングアウトしてる人ひとり知ってるし、もしかしたら〜的な人なら、2……3人知ってるし。みんな至って普通の人よ」 「え、けっこういますねー。もしかして俺、会ってても気付いてないだけだったりして。なんかもっと、情報とか共有出来る場だったり、出会いの場だったり、こういうイベントもいいし、もっともっとオープンになっていけばいいっすね」  サラリと口にする言葉が思いのほか男前だったりして、相変わらず好感度は低くない。 「あんた、意外と頭やわらかいね」 「へへ。ラブ&ピースで」  みんながみんな偏見を持っているわけではない。知識不足だったり、間違った知識を持っているだけだったり、そんなつまらないすれ違いで大きな差別が生まれてしまう。そういうところを無くしていきたいと思う人が増えて、こういうイベントが多発しているのだろう。  今まで自分の大切な部分を隠してごまかして生きてきたことを、今更ながら後ろめたく思う。これまでとは真逆の意識だ。どうしてちゃんと認めてあげなかったのだろう。どうして素直になれなかったのだろう。社会の構造がそれを困難にしていることは確かだ。それでも、もっと自分を大切にしてあげる方法はあったのではないかと後悔する。  自分のセクシュアリティがどうであれ、こういうイベントに関われたのはすごく有り難かったし、これからもっと色々と考えたり変わったりしていけるような気がした。
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