・自分

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 「自分」っていうのは、そして特に「私(ひの 朱寝)」というのは引用のかたまりで出来ていると思っています。  読んだ本や食べたもの、観た映画。交わした会話に嫌々聞かされた話。そんな様々な要素を取捨選択しつつも引用して生きています。  実際に私の書く小説には色々な作家のエッセンスが入っていますし、きままに描く絵だって誰かしらの影響を受けています。今こうして書いているエッセイだってそう。必ず何かしらに影響され、そして引用しています。そんな0から1を作れない空っぽな自分が嫌で、所詮入れ物でしかない自分の存在に意義を感じられなくて、いつだったかな、高校生の頃かな、そのくらいの時期に嘆いたことがあったんです。つらつらと長文でね。もちろんSNSで。そうしたらある人にこう言われました。「入れ物の中を素敵なものでいっぱいにできる貴方は素敵ですね」って。これ、すごくないですか?  この言葉が今の私に大きく大きく影響、そして、そうですね引用されています。  だってこの言葉がなければきっと今でもずっと悩んでぐちゃぐちゃとなっていただろうから。人によっては綺麗事に聞こえるかもしれないこの言葉が、私にとってのお守りになりました。そうか、私って自分という空っぽの中に素敵なものを見つけて入れていくのが上手いんだ。と、そう思えてからは、他のことで時折悩むことはあっても、このことで大きく挫けることはありませんでした。だって私は「素敵な空っぽ」だから。  今、私は主に小説を書いていますが、私の好きな作家も誰かに影響されていて、その誰かもまた誰かに影響されているんですよね。それの繰り返し。もしかしたら全員、空っぽを持って生きているのかも。その中に何をどう並べるか、それとも詰め込むのか、飾るのか、見せるのか、隠すのか、それの違いだけで。  もちろん、0から1を作り出すようなすごい人もいるけれど、それもよくよく見たり考えたりしたら先人たちの知恵や経験を引用して噛み砕き、それを「1」にしているような気がするんです。  宇宙のビックバンだって、完全な「0」からのものではないと読んだことがありますし(無の証明とかの話ですね)、みーんな、0から1を生み出すようなことなんてできないのかもしれません。  エジソンの空っぽ  井伏鱒二の空っぽ  ニュートンの空っぽ  芥川龍之介の空っぽ  私の空っぽ  あなたの空っぽ  みんな空っぽです。  それが、「自分」。  って、私は思うんです。  そこに今日もみんなそれぞれの何かを詰め込んで、たまには落としたりもして、生きているんだな、って。  今朝も短編の小説を読んでインプットして、好きなセリフや言葉の言い回しを自分の中にそっとしまいました。これがいつか何かの役に立ったり立たなかったり、するんですよね。宝物箱の隅でずっと眠ってるビー玉とか、そんなふうに一見意味の無いようなものでも大切にしておくと、ふいな朝日にかざしたキラキラを貰えたり、手持ち無沙汰で不安な日の右手に収まったりするかもしれません。  さて、ここまで長々と話してきましたが、要は自分は、私は、ひの 朱寝は、「空っぽ」だということです。それが自分。哲学的にどうだとか、生物学的にどうだとかは分かりませんが、これが私なりの「自分」の解釈です。  今朝は道端の花の名前を、ふたつも知ることができました。こんな引用から始まる今日は、どんな一日になるでしょうか。もしかしたら、引用で終わるかも。それも素敵。  そんな引用ばかりの毎日の中で、ちょっと悩んだりしつつも自分の「空っぽ」の中をたまに覗いたりして確認して、ほっとしたり安心したり焦ったり、てんやわんやしながらも生きていきたいです。あ、「てんやわんや」って言葉、好きなんですよね。余談でした。  ここで誰かの言葉を引用できたらかっこいいのだけれど、ちょっと思いつかないのでこのまま終わりにします。そんなとこも、私らしい〜。  それではまた、次回お会いしましょう。  
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