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ハリーケン《VERSION》
ここは、横須賀にあるオレの実家だ。
東京湾を埋め立てた新興住宅街の中にある小さな一軒家だ。
七月に入った途端、連日三十度を優に越え真夏日を更新していた。今夜も暑くて堪らない。
ひとり暮らしなので気楽な恰好だ。パンイチでほとんど裸に近い。
夜中の十二時を過ぎたと言うのに三十度を下回ることはない。壊れかけのエアコンは、ろくに働きもしないクセにヤケに音だけは喧ましい。
オレのあだ名はハリーケン。
本名は張本健一だが昔から親しい友達からハリーケンと呼ばれている。
できればカジュアルに『ハリー』と呼んでほしい。
今年、二十歳になるが金もないし、彼女もいない。おまけに才能もない……。
もちろん認めるワケにはいかないが。
あり余っているのは体力だけだ。
中学を卒業後、お笑いの専門学校へ入り少し前まで芸人をしていたが、まったく目が出ず今はもっぱら迷惑系YouTuberとして活動している。
やることもないので夜中、録画しておいたバラエティ番組を観ているが、どいつもこいつもクソよりも面白くない芸人らばかりだ。オレの方が遥かに面白い。
まァ、そう言ってくすぶっている売れない芸人は山ほどいるだろう。そいつら全員が何かきっかけさえあればと思っていることだろう。
才能のないことを認めるのが、プライドが許さないからだ。
不意にスマホの着信音が部屋に響いた。どうせこんな夜中に連絡してくる友達は借金の催促だろう。
仕方がないか。通話ボタンをタップした。
「ただ今、こちらの電話番号は使われておりません」
音声ガイダンスの声マネをした。
しかし相手は構わず話しかけてくる。
『やァ、ハリー。ヒマそうだな』
聞いたことのない少年のような声だ。生意気そうなヤツだ。
まだ声変わりしていないようだ。ヤケに幼い感じがする。
「はァ、なんだよ。坊や……? とっくに、お寝んねの時間だろう。このオレに子守歌でも歌えって言うのか」
『フフゥン、ダメだな。そんな返しじゃ。そんなんだから芸人として売れないんだよ。ハッハハ……』
少年は上から目線であざ笑ってきた。
「ほっとけよ。断っておくが、オレは坊やの夏休みの宿題を手伝うほどヒマじゃないんだ」
どのみち勉強嫌いのオレには中学生の宿題だって手に負えやしない。
『アッハハ、宿題なんて手伝う必要なんかないさ。ボクよりも頭の良い先生はこの世に一人も存在しないからねえェ……』
「はァなるほど、ずい分と自信家のようだがあいにくオレは お優しい保育園の保育士じゃないんだ。真夜中の遊び相手なら他を当たってくれよ。坊や」
『ぬうぅ、ボクは 坊やじゃないよ。レオンだ』
オレに坊やと呼ばれて少しムカついたようだ。
「フフゥン、レオンねえェ……。なんだよ。ベイスターズの助っ人外国人かァ」
『本名はナポレオンさァ』
「ほォ、ナポレオンねえェ……。じゃァ今度、ジャンヌ・ダルクでも紹介してくれよ」
『ダメだなァ。時代が全然、違うよ。ナポレオンは十九世紀でジャンヌ・ダルクは十五世紀だからね。紹介できないよ』
「知るかァ……。そんなコト」
オレは歴史に疎いんだ。
『気軽にボクの事はレオンって呼んでくれよ』
「あのなァ、あんまり夜ふかしするとおねしょをするぜ。レオン」
嫌味を言ったが、ナポレオンはどこ吹く風と言ったところか。
『実はハリーに頼みがあってさ』
少年は、こっちの話しなど聞く耳などないようだ。
「あのな……、言っとくけどオレを呼ぶ時は『ハリーさん』な。どう考えてもオレの方が年上だろう」
少しは年長者を敬えよ。
『わかってるよ。ハリー。ヒマで自由な時間が、たっぷりあるハリーに日当、三万でボクの代わりに手足となって働いてほしいんだ』
相変わらずオレのコトをハリーと呼んだ。
「おいおい、オレはガキから施しを受けるほど落ちぶれちゃいねえぇよ」
日当三万なら是非とも受けたい仕事だが。オレにもわずかながらプライドがある。
毛の生え揃っていない子供に金を恵んでもらうほど落ちぶれてはいない。
『良いのか。借金で首が回らないクセに。仕事を選り好みしてる余裕はないだろう』
「ンうゥ……」
確かに、このナポレオンの言う通りだ。
年端のいかない坊やに使われるのはシャクだが背に腹は変えられない。
むやみに借金を踏み倒すワケにもいかないだろう。
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