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5 南井 義希は罪悪感に駆られる
(童貞…。こんなスペックで、童貞。)
南井は村上をまじまじと見た。
この青年は、そんな不確かなものを信じて、何時か出会う相手の為だけに生きてきたと言うのか。本気で?
運命なんてくだらないものを、本気で信じて…?
一口に運命の番なんて言葉にするのは容易いが、実際にそんな相手に出会える確率は、ごく低い。
大概のαやΩは、生きている間に運命の番なんて相手に遭遇する事は無い。
だから、確かにそんな相手に巡り会える事は幸運には違いない。
もしも、本人同士がフリーであったならば本当に問題無く祝福されるべき話だ。
だが、南井が実際に目の当たりにした運命の番は、それはもう周囲に多大な弊害を齎した、傍迷惑なものでしかなかった。
南井の番だった幼馴染みの男もそうだが、相手の少女にも、付き合って2年程になる歳上の恋人がいたのだ。
その恋人は少女を深く愛していたがゆえに、彼女が高校を卒業して番になる迄は、と 最後の一線を越えぬよう大切に守ってきたらしかった。
なのに彼女は、ある日突然出会った、初対面の相手である男と番って来たという。理由は、運命の相手だから、という言葉ひとつだけだったらしい。
少女の恋人だった男性の、苦しみや悲しみは、壮絶だった。彼は南井に会いに来て、2人を許せるのかと迫ってきた。
『一生、許す事は無い。
でも既に自分は、自動解除であの人の番では無くなってしまった。』
南井の言葉に、少女の恋人だった男はハッとしたような顔をした。
目には見えない想いの度合いを測れる訳では無いが、恋人に過ぎなかった自分と、既に番になってしまっていた南井とでは重さが違うのだと、初めて気づいたようだった。
これは、単なる浮気とかそういう問題ではないのだ。
運命の番という言葉は全てを容認される魔法の言葉らしいから、と 南井は乾いた笑いを浮かべながら言った。
男はもう何も言わずに帰っていき、それ以来二度とは会う事もなかった。
結局、南井の番だった幼馴染みの男からも、新たにその番となった少女からも、本人達による謝罪は一言も無いまま、南井一家は地元を離れた。
双方の両親からは再三の謝罪を受けたが、当の本人達が気にも留めていない謝罪に何の意味があるだろうか。
南井は心底幼馴染みを軽蔑したし、時が経った今では殆ど思い出す事も無い程に無関心になった。
今では彼の生死すらどうでも良い他人だ。
長年積み重ねてきた愛情をほんの一瞬で裏切られ、後足で踏み躙られたあの時、南井の愛は死んだのだ。
運命なんてものは、本当にロクなものではない。
そんな屈折した感情だけを、南井は胸に植え付けられた。
運命の番、というものにそんな苦い経験を持つ自分が、何故よりによってこんな純朴そうな青年の運命なのだろうか。
どういう神の悪戯なのだろうか、と南井は暗澹たる気持ちで彼を見た。
南井の心を知らない青年は、南井の眼差しをどう取ったのか、恥ずかしそうに目を伏せた。
「…駄目ですか?」
「え?」
「童貞だと、駄目ですか?
貴方は…大人、だから…。
僕なんかみたいな子供じゃ、駄目ですか?」
「…。」
目を伏せて、少し俯いた青年の両手は太腿の上で組まれていたが、少し震えていた。
それを見た時、南井は急に罪悪感に駆られた。
冷静に考えてみれば、南井に起こった不幸は南井の事であって、この未だ20歳の青年には関係無い。
ここで南井が、自分の持論だけで青年をバッサリ切り捨てるのは、少し違うのではないだろうか。それは八つ当たりに近い事のように思えた。
あの時とは、状況も全く違う。
この青年はあの幼馴染みの彼とは違う人間なのだし、第一、彼よりも思慮深い。
性格も温厚そうだし、実直そうに見える。
何より、運命の番なんてものを信じて成長した純粋な若者の心に、いい大人である自分が傷をつけてしまって、その後の人生観に変な影響を及ぼしてしまうかもと考えると、何だか後味も悪い。
自分のように歪んでしまったら、と思うと、それは可哀想に思う。負の連鎖だ。
もう少し、この村上という青年に付き合ってから、やんわり振ってやる方が良いかもしれないな…と、村上を眺めながら南井は考えた。
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