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11 村上 陽司は回想する
村上 陽司には、忘れられない過去がある。
村上 陽司は現在38歳、親の店を継いで複数の洋菓子店を営む会社の社長をしている。
15年程前に番だった妻に先立たれ、それ以降独身で生きてきた。
妻は出先での事故で亡くなった為、陽司との番は自動解除となった。
2人の間には息子が一人いたのだが、陽司とは不仲だった妻の実家の義両親に引き取られたので、その後10年は殆ど顔を合わせずに過ごした。
妻と死に別れたその日は、確かにその前兆を感じた。仕事中に突然 心臓が大きく脈打つ感覚があったのだ。突然の動悸に、吹き出す脂汗。
急に何かの病に見舞われたのかと思ったくらい、全身がガクガク震え出した。嫌な感覚だった。
病院からの報せの電話が鳴ったのは、そんな時だった。
体調をおして、真っ青な顔で妻が運び込まれた先の病院にタクシーで駆け付けると、義両親は先に到着していた。病院と義実家の距離はそう遠くなかったから当然と言えば当然だった。
病院から事故の連絡だけを受け、詳細を知らなかった陽司は義両親に話を聞こうと思ったのだが、その時妻が亡くなっていたのだと知らされた。実はほぼ即死だったのだという。
報せを受ける直前に感じた悪寒はそういう事か、と陽司は納得した。
その感覚は今でも続いている。
けれど、義両親は妻を亡くした陽司に向かって言い放った。
『貴方とさえ、出会っていなければ…。』
はあ?と陽司は憤慨した。
妻が亡くなって消沈している自分に何て言葉を投げつけるのだ、と。
それに陽司が妻の死に関わっていた訳でもないのに、何故責められなければならないのだろうか。
娘を亡くして気が動転しているのはわかるが、自分だって番を失くしたばかりの被害者だ。理不尽だ。
陽司は義両親を睨んだ。
だが、険しい顔をした義両親は陽司に言った。
『貴方と出会ってしまってから、あの子の人生は狂った。好きあっていた人とも離れなければならない状況になって、娘は苦しんでいた。貴方と番にさえならなければ…。』
何を言っているのだろうか、と思った。
陽司と妻は運命の番として出会って、強烈に惹き寄せられるままに体を交わしてその場で番になりはしたが、それは妻だって合意だった筈だ。
陽司だけが一方的に責められる謂れは無い。
しかし、義両親の次の言葉で陽司は固まってしまう。
『事故なんかじゃない、あの子は自殺よ。
いえ、心中かしら。
前の恋人が、亡くなってしまったから後を追ったのよ。』
『あの子はずっと後悔していた。
貴方に出会った瞬間に周りが見えなくなって、本能のままに恋人を裏切ってしまった事をずっと悔いていた。恋人に合わせる顔が無いと。謝る事さえ出来ないと。
けれど、あの一度で自分が妊娠したのがわかってしまったから、貴方と生きるしかないと思ったのだと。
娘はそう言って、何時も泣いていた。』
それは陽司にとって、初めて聞かされる、思いもよらなかった妻の心情だった。
何時も微笑んでいたじゃないか。幸せだと言っていたじゃないか。
俺達は互いの大事な人を捨てて迄、惹かれあった運命の番だったんじゃないのか。
『せめて、貴方があの時、もう少し冷静でいてくれたら…。
何故、噛んだりしたの?』
泣き腫らして真っ赤な目をした彼女の母親の恨みがましい言葉は、陽司の心臓を貫いた。
それは陽司が、運命という言葉で自らに目隠しをして、向き合う事をずっと避けていた事実だった。
あの時の事を後悔していると認めたくなかったから。
まさか妻も同じ後悔を背負っていたなんて、気づきもしなかった。
陽司にだって、大切な番がいた。けれど、運命だったから。妻は運命の相手だったから、匂いに呼応して番って、理性が戻った時には既に番の契約は書き換えられてしまっていた。
運命の番の契約が従来の番契約よりも優先されたのだ。
正気に戻り、事の重大さを徐々に理解した陽司は、番だった幼馴染みに謝罪すら出来なかった。下手に顔を合わせて、軽蔑されるのも怖かったのだ。
だから、避けた。
卑怯だとわかっていながら避けたのだ。
それに新たな番になった妻も美しかったから、幼馴染みを忘れるようにしてのめり込んだ。
こうなってしまったからには、新たな人生を生きていくしかないのだから、と自分を正当化するようにして。
けれど月日が経つ毎に、心に重くのしかかる後悔を誤魔化す事が難しくなった。
運命の番というものは、遺伝子レベルで惹き合うから、当然のように遺伝子と体の相性は最高に良い。
だがそれはそれだけの事で、性格や 人間性を許容出来て、本当の意味で愛を育めるかはまた別の話だ。
陽司は幼馴染みに会いに行こうと思い立った。
不貞と不実を詰られるかもしれない。それでも顔を見たかった。
軽蔑の眼差しを向けられても良い。許されなくても良い。
一目だけでも顔を見て、声を聞いて、詫びたかった。
けれどその頃には既に、彼ら一家が住んでいた家はもぬけの殻で。
その時になってようやく、陽司は、世の中には取り返しのつかない事というのがあるのだと知った。
自分と幼馴染みを繋ぐ糸は、陽司自身が断ち切ってしまったのだと。
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