1328人が本棚に入れています
本棚に追加
12 村上 陽司は回想する 2
運命の番が現れたって、それ迄の愛が瞬時に消えたりする訳がない。
そんな当たり前の事に、運命の番との出会いによる多幸感に包まれ、冷静さを欠いた陽司は気づけなかった。
浮かれていたのだ。自分達が特別な存在になったかのような勘違いをして、優越感さえ感じていた。
そんなもの、当人間の相性の問題でしかなくて、他人には全く関係の無い事。優劣がある訳でもないのに。
自分と妻が、まるで選ばれた人間かのように錯覚した。
他人からは、どうでも良い事なのに。
陽司に番がいたように、妻にも歳上の恋人がいた。
運命の番と巡り会ったと言っても、その段階で本能に突き動かされて衝動的に肉体関係を結んだ事は、本来ならば不貞行為にあたる筈なのだ。
それが、運命だという理由だけで、実質不問に付されるのもおかしな話ではある。
元の番や恋人達は泣き寝入りに等しい。
そういうケースだと関係解消による慰謝料だって微々たるものになってしまう。
陽司の場合は父親が支払ったと聞いたが、代わりにそれ以来 両親ともしっくり行かなくなってしまった。
再三、両親の助言にも叱責にも耳を貸さなかったツケだとは理解している。
陽司は後継だから勘当を免れただけだとも。
妻が亡くなった時に、一人息子は義両親の元に預けられていて無事だった。
もとより妻は息子を道連れにする気はなかったのだろう。
息子は、陽司の血を引いている。あの世の恋人と会うのには、余計だったのだろうと思う。
息子の和志はそのまま義両親の元で養育する事となった。
陽司の両親は息子である陽司達夫婦とは仕事以外ではほぼ疎遠であった為、孫の養育には非協力的だったからだ。
陽司の両親は、陽司の元番だった幼馴染みを、とても可愛がっていた。
運命の番だのと言われても、恋人がいながら、初対面で人となりもわからないままに関係を持ち、うなじを許すような女性を受け入れられなかったのだろう。
そして、勿論、既に番を持ちながらも初対面のΩ女性に理性を失くしてがっついた、自分の息子も。
『気味が悪い。何が運命の、よ。』
それは、両親に妻との新たな番契約の報告をした日の、母の言葉だ。
忌まわしい何かを見るような蔑んだ目で、吐き捨てるように。
それさえも陽司は、真実の愛を得た自分達への迫害であると、そんなあさってな勘違いをしていた。
『金だけは出してやる。仕事もやる。
だが二度とこの家の敷居は跨いでくれるな。』
重苦しい空気を纏いながら父はそう言った。
陽司はずっと妻を庇って両親を睨みつけていた。
結局それ以来、実家には行くのを許された事はない。
近くのマンションに妻と移り住み、大学迄の金銭的援助はなされたが、両親との関係修復がされる事はなかった。
妻の両親に挨拶に行った時も、陽司は歓迎しては貰えなかった。
義両親は妻にはきちんとした婚約者のような男性がいたのだと、淡々と語った。
妻は陽司の横で俯いたまま、何も言わなかったが、その細い肩は震えていた。
『何人もの人が、貴方達の短絡的な行為で苦しむ事になりました。
発情期のΩの匂いがどれ程のものかは、勿論私も知っている。運命というのならば、それは尚更だったのだろう。君達は若いし、抑制を掛けるのは難しかったのかもしれない。君だけに非がある訳ではない。
しかし、それでも問いたい。
娘のうなじを噛むその時、大切な人の事は、ひとつも思い出さなかったのかな?』
妻の父の、感情を抑えた声に 一瞬スッと胸が冷えた。
幼馴染みの白い小さな顔が脳裏に浮かんだ。
『娘にも非はある。だが、番契約というものは、αの責任が重いものだ。
αの本能を信じる事は大事な事だが、本能だけで動くαは三流だ。』
義父はそう言って、もう陽司の顔も見ずに席を立ち、最後にこう告げた。
『帰りなさい。私達は君を許さない。
娘も愚かだが、君の事はもっと許せない。
出来れば、もうここには来ないで欲しい。』
双方の親兄弟からこんなにも責められる事になるなんて、陽司は想定していなかった。
運命の番を得る事は、幸せな事の筈ではなかったのか。
何故誰も自分達を祝福してくれないのだろうか。
確かに陽司と妻はお互いの恋人や番を裏切ったけれど、運命の番とは、全てを凌駕して結ばれなければならないものの筈ではないのか。
陽司にだって、後悔が無いかと言われたら嘘になる。
幼馴染みに未練もある。
けれど、仕方ないではないか。
彼女が、自分の運命だと言うのなら…。
周り中、全てにそっぽを向かれた。多くの人が陽司と妻から離れて行った。
だから余計に、幸せにならなければと思っていたのに。
2人で暮らすマンションへの帰り道、妻は電車の中で泣いた。
その姿が、陽司を失って泣いているかもしれない幼馴染みと重なった。
運命の番である妻が目の前で泣いているのに、陽司はその時、猛烈に幼馴染みに会いたかった。
慰めるように妻の肩を抱きながら、この状況が夢であったならと願う事をやめられなかった。
彼女と出会う前に戻りたいと強く祈った。
幼馴染みの…義希の、薄い耳朶に触れたいと思った。
そして陽司は、自分が誰を愛していて、その為にとてつもない後悔をしている事を、認めたのだった。
最初のコメントを投稿しよう!