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4 村上和志は主張する
よく事態が飲み込めないと思った南井は、少し歩いた場所のカフェに場所を移して話をしようと提案し、青年はそれを了承した。
何だか不思議な取り合わせに見えそうだな、上司と部下、まさかとは思うが親子に見えてたりもするのだろうか、と思いつつ、カフェのある場所迄 数分並んで歩いた。
青年はチラチラと南井に視線をくれる。
先程の一部始終を見ていただろうから、心配しているんだろうと南井は思った。
尤も、その原因が自分にあるとわかっているのかは分からないけれど。
青年は村上 和志と名乗った。
やはり別の階に入っている出版社で、週2でインターンに入っているらしい。
そうか、だからあの残り香は時々だったのか、と南井は納得した。
毎日居る人間なら、もっと頻繁に気がついた筈だからだ。
週の半ばだからなのか、意外に客入りの悪い店内のボックス席に向かい合って座った。互いの前にはそれぞれにコーヒーのカップが置かれている。
南井はそれにミルクを入れて混ぜながら、チラッと村上を見た。
強い視線が南井に向けられていて、ドキリとする。
ずっと見られていたのか。
「何時も、」
村上は南井に向かって口を開いた。
「何時もあのビルに行く度に、貴方の匂いを感じていました。」
「…は?」
南井はぽかんとした。
「匂い、ですか?」
少し混乱して、そう聞き返してしまった。
南井の、希薄になったΩとしての匂いを感じ取れたというのだろうか。この青年が?
「残り香のようなその匂いの主を、僕は何時も探していました。」
残り香のような匂い。それは、自分が彼の匂いに対して思っていたそのままの感想だ。
まさか、逆にそんな風に思われていたなんて考えもしなかったと、南井は驚いた。
「私も、同じ事を考えていました。何度か、貴方の匂いを感じ取った事が。」
南井がそう言うと、緊張で強張っていたらしい村上の顔が緩んだ。
「そう…やっぱり、そうなんですね。」
何がやっぱりなのか、南井はよくわからない。
「どういう事でしょう?」
戸惑いを隠して問う南井に、村上は告げた。
「僕と貴方は、運命の番だという事です。」
村上のその声は喜色を孕んでいたが、それを聞いた南井の胸は逆にスッと冷たくなった。
運命。
南井が最も嫌悪するその言葉。
目の前の青年が、かつての番だった男と重なった。
そう言えば、見向きもせずに南井を切り捨てたあの男の名も、村上という名ではなかったかとつまらない事を思い出した。
「申し訳無いけど、無理です。」
頭を下げる。だからその瞬間、村上がどんな表情をしていたのかは見えなかった。
村上が悪い訳ではない。
彼は単純に、運命を信じている若者というだけなんだろう。それを自分が壊すのは心苦しいが、南井には、運命を憎んで生きてきた自分が誰かの運命だなんて事は受け入れられなかった。
しかし、ふと考えた。
この青年には、他に既に愛する人は居ないのだろうか。
かつて自分を捨てた男と同じように、この青年の中でも、運命と愛は同義なのだろうか。
そうじゃなければ良いのにな、と南井は思った。
だから聞いてみたのは単なる好奇心だった。
「君には、付き合っている人はいないんですか。」
すると、え?戸惑ったような声が聞こえる。
南井は頭を上げ、座り直し姿勢を戻して、村上を見た。
彼は俺の視線を受けて、少し気不味げに小さな声で答えた。
「…僕は今迄一度も、誰かと付き合った事はありません。人を好きになった事も…。
小さい頃から、運命の番を一生待つと決めていたので。」
「えっ?!」
予想以上の答えに、南井は戸惑った。
まさか今どき、そんなに初心で純な青年が存在するなんて思ってもみなかったからだ。
αという種は、人類の中で最も優れた種だ。
だからこそ、常にその周囲には誘惑が満ちているし、決まった相手を持つ迄は自らに集ってくる人間達と適当に遊ぶαだって多い。
自分の番だったあの男だって、そうだった。
きっとこの青年も、付き合った相手は居ないというだけで、それなりに遊んでいたに違いない、と南井は思った。
「でも、特定の恋人が居なかったとしても、遊び相手はたくさんいたんでしょう?
君みたいな人、放っとかれないだろうし。」
少し意地悪い物言いかとも思ったが、南井はそう質問をぶつけた。
だが、村上は真剣な顔で、
「ありません、そんな事。」
と言う。しかも、その頬と耳は赤くなっていて、少し悲しげな、怒ったような表情だった。
まさか、と思う。
「僕はずっと、僕の全ては運命の人に捧げるって、そう決めてたんです。
他の誰かに余所見なんかしたら、その資格が無くなっちゃうじゃないですか。」
まさか、本当に、そんな事が。
「僕はこの世に生まれてからこの20年間ずっと、運命の人だけを待って、探していました。」
そんな一途なフリーのαなんか、南井は一人も知らない。
「僕の心も体も清廉潔白です。…僕は、その…童貞ですから。」
南井は頭痛を感じてこめかみを押さえた。
そして、こんなαが、自分みたいな草臥れたΩの運命な筈がない、と 村上を呆然と見つめた。
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