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毛を剃るなんて肌を露出するのではないかと思っていたが…嫌な予感的中だな。
「俺が女装するってこと?」
「………してもらいます!」
「してもらいます!じゃないよ!俺もお客さんも地獄を見るぞ?晒さなくても想像だけで完全にギャグだぞ!?俺が女装するのか!?」
顔を近付けて菫に見せつけるように自分の顔を指差すと、菫もぎこちない笑みを浮かべていた。
「こ、こんなこと大和にしかお願い出来ないんだよ!それに今のメイク技術舐めちゃダメだよ。皆同じ男の人だけどメイクめちゃくちゃ上手いから!」
「いや、そういう問題じゃなくて……はぁ。分かりたくないけど分かったよ。前から約束だからやるけど、菫は厨房なんだよな?俺は女装して接客するってこと?」
「そうそう!お客さんに変にアピールしたりしなくていいの。普通に接客すればいいだけで…あ、声は少し高くしないといけないかもしれない。とりあえずスタッフルーム行こう!色々と教えてくれるから!」
女装して声を高くしながら接客?…フッ、ダメだ、自分がそういう事をしているという想像しただけで既に笑える。
でも菫だって合コンに参加してくれたし、ノーとは言えないな。それにしても菫は俺が断ると思って今まで黙ってたのかもな。やられた。
深く溜息を吐いた後、キラキラとした可愛らしいお洒落なカフェを横目に裏口へ進む菫の後を追いかけた。
***
「今日だけのヘルプの人?俺、橘 朋也(たちばな ともや)。此処での名前はトモちゃんだから」
「よ、宜しくお願いします。トモちゃん…さん」
「さんは要らないけど。トモさんでもトモちゃんでも何でもいいけど、お客さんの前ではトモちゃん呼びでよろしく」
「…分かりました」
橘 朋也という男は落ち着いている声色で接してきた。顔は男前で身長も高い。けど体は細めだ。違和感があるとしたら、顔から下がメイド服を着ていること。
勝手な想像で女の子っぽい感じの人しかやれない世界だと思ってた。しかも年齢も俺と近そう。
ていうか“トモちゃん”って、仕事の名前というかほぼ本名のあだ名だな。
周りを見渡すと、鏡の前でメイクをしている男の人達が俺と菫が入ってきた事で一斉に此方を向いた。本当に男性しか居なくて一瞬だけ緊張が走るが、威圧感は無く、向こうが頭をペコッと下げてきたことで深く頭を下げた。
すると、此方に目を向けてきた人達はすぐに鏡に向き合い始めて興味を無くしてくれた事でホッとした。
そうだ。ここは遊びの場じゃなくて仕事としてこの場に居るんだ。俺も今から同じように女装するのか。…え、改めて大丈夫なのか。
「橘君、緊張してるみたいだから宜しくね。大和、橘君がメイクしてくれるから、また後で見に来るから!」
菫は自分の準備もあると言い、急ぎ足でメイクルームを後にした。
「じゃー、先に服から選ばなきゃな。何がいい?あっちにある服ならなんでもいいけど」
「あ、はい。えーっと…」
ずらりと並んだ服を順番よく見ていくが、スカートのような格好が多い服を見て顔が引きつった。
…ぶっちゃけ何着ても結果は見えているから何でもいいし、何が良いのか分からない。
「…何がいいんですかね」
「こだわりなかったら俺が決めようか?」
「その方が助かります」
「分かった。それなら大和君はこれ」
迷うことなく渡されたのは赤を基調としたチャイナ服だった。よく見ると左のほうに膝前までのスリットが入っている。
一体どんな気持ちでチャイナ服を選んで渡したのか分からないが、怪訝な表情になりながら受け取ったのは自分の顔を見ないでも分かる。
「あと、このパットも胸辺りに着けてな。腕とかは剃ってるから大丈夫だよな。とりあえず着てみて。俺は向こうで自分のメイクして待ってるから」
トモさんは慣れたように胸パットを渡して鏡の前に戻っていった。
…やるんだ。俺なら出来る。
俺はプルプル震えながら服を脱ぎ始めた。
****
「トモさん…パット難しいんですけど、これで合ってます?って、誰!?」
パットの使い勝手が分からなくて中途半端な格好でトモさんの居た所へ向かったが、黒髪の三つ編みウィッグを着用した美少女になっていて目をギョッと見開いた。
「俺は完全に別人になりたいからな。メイクだけじゃなくてカラコン入れれば目がデカくなって印象変わる。…今日も盛れてんなー、俺」
「いや、本当に盛れてますよ」
見た目は美少女なのに、声が低めの声なのが違和感があるくらい別人だ。
「で、パットが出来ないんだよな。ちょっと失礼」
「うおっ!?」
トモさんは、チャイナ服の胸元の中に手を入れて位置を調節してくれたが、未知の感触に変な声が出た。それからトモさんは全身を見定めるように俺を見ると、真顔のまま目を見つめた。
「まぁ…まだすっぴんだしな」
トモさんは何とも言えないような、居た堪れない表情だった。
…う、うん。言いたい事は分かる。分かるけど、その表情と生きてきてずっとすっぴんな俺には効く。
「あ、てか名前どうする?大和だし、やぁちゃん?」
「…もう何でもいいですよ」
「なら、やぁちゃん、ここ座って」
中途半端なチャイナ服を着た俺は美少女に連れられて鏡の前に座った。
まだ始まってもないのに、既に隠れたい気持ちでいっぱいすぎる。
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