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とにかく視線だけでも下に向けて仁から逃れようとした。けど、心は仁がどんどん侵食していくのが分かる。動揺が止まらない。
「だからおいでよ。どれくらい掛かるか分からないけど、住む期間とか水道光熱費とかそんなのも考えなくていい」
「…本当にいいって。一人暮らしの部屋に男が一人増えただけで狭く感じるぞ。それに大家さんもホテル代も出してくれるって言ってるんだよ」
負けじと仁に対抗すると、仁もあからさまにムッとして口を尖らせている。
くそー、仁め。全然引かないな。いいじゃないか。だって俺がホテルに泊まった方がいいに決まってるし、誰も損しない。
「だったら俺の家来る?実家だけど部屋余ってるから狭くはねぇよ」
突然横にいた臣も、まるでこれはいい案だと言わんばかりの表情で告げてきて、流石に険しい顔で臣を見つめ直した。
いやいやいや、臣さんよ。ドヤッとした顔で言ってるが、今の話はそれで終わりにしようよ。天然かよ。更に混乱するだろ。
「い、いやぁ…何かごめん!この話した俺が悪かったから、もう終わりにしよう。気遣ってくれてありがとうございます。本っ当に!大丈夫だから」
自分のことでこんなにも悩ませてしまうこと自体申し訳なくて、皆に向けて頭を下げた。
はやくこの話を避けたい。菫の家にも央一の家にも臣の家にも、そして仁の家にもお世話にはならないぞ。
「そうだな。臣の家なんかに行けないじゃん。大和は」
「…はっ?」
もう終わりにしようって言った矢先、仁の発言に嫌な予感が過ぎる。
「え?何で?俺の家だとダメだった…?」
そんなことを言うから臣は俺の方へ向ける目は悲しそうに眉尻を下げていた。
仁の奴、何を企んでいるんだ。この流れ、まさかだよな。しかも臣の前で…!
「ち、違うからな!仁…なんの話だ」
「言えないなら俺が秘密を言ってやろうか?」
ガタッ
遂に仁の発言に限界で立ち上がってしまった。
そんな俺の行動にこの場の人は吃驚した様子で注目した。分かってたことなのに余計に変に思われる。
そんな中、仁だけは平気そうな顔をしていて、周りにバレないように軽く睨んだ。
「大和が臣の家に行くのが嫌なのって臣…っ」
我慢出来ずにペラペラと話し出す仁の口に手を当てて口を塞くが、俺と仁のやりとりを周りは怪訝そうに見ていた。
俺の心臓はバクバクと鳴っているのが肌を通して仁に伝わっているんじゃないかというくらい心臓が煩かった。
仁!本当になんなんだよ!?急にトチ狂うのやめてくれ!
すると、仁は俺が塞いだ手を掴んで話した後、手首を掴んだまま俺の目をジッと見てきた。
「どうしたの?急に立ち上がって。…臣の弟の漸が家に居るからでしょ?漸の塾の先生は大和だから」
仁は口が空いた瞬間に言いたいことを放つと、嫌な予感から一転し、聞こえた内容に心底胸を撫で下ろした。
なっ……なんだ、その事かよ!こんな紛らわしい言い方しなくてもいいだろ。でも、今言おうとしてたなかった?
「その事か!大和は漸の先生だし、一緒に住むのは気まずいよな。けど俺知ってるのに秘密ってなんだよ?」
「う、うん。そーだよな!アハハ。仁は何言ってんだ」
「なんとなくね。あ、そういえば大和に用事があったんだよ。ちょっといい?」
仁を軽く睨んでいると、何かを思い出したように掴まれた手首を離す様子もなく、向こうへ行こうと引っ張ってきた。
「来るよね?」
念を押すように仁の目がいつもと違う少し挑発するような目付きで、あまり見ない顔にドキッとして掴まれている手から汗が滲んできた。
さっきの暴露未遂は気のせいじゃなかったかもしれない。これじゃもう逃げるどころの話ではない。
「…行くよ」
仁の言う事を聞かないと本気で言われると思い、仁に引っ張られるように着いて行った。
***
「…仁!!」
「なーんだよ。声大きいな」
仁の思うがままに連れてこられたのは大学の食堂横にあるテラス。冷房がきいている食堂に比べて、夏は日差しが強くて誰もこの場に居るのを見なかったりする。
壁側に連れられると、未だに手を離さない仁の謎の圧力には諦め、眉を精一杯寄せてから向き合った。
「なーんだよ、じゃない!お前っ、性格が本当に悪いぞ!さっきのは何?臣に言おうとしたなだろ。何でそんな事すんの?」
「仕返し。俺のメッセージ無視したから」
ツンとしながら子供のように仕返しだと言う仁に呆気に取られた。
「仕返しって…それは本当にごめん。朝は忙しかったから返せなかっただけだぞ」
「本当にそれだけ?」
ジッと見透かしたように見る仁にゴクリと唾を飲んだ。
「やっぱり。なんで避けようとしたの?」
何も言わない俺の様子が図星だと思ったのか、返答を聞かずに理由を聞き出してきた。
「ち、違う。その、家があんな感じになったのが結構きてただけだ」
「そっか。それなら余計に協力したいんだけど。もしダメならその時に考えればいいよ。今日の夜バイト?」
「いや…家のこと説明したら休みくれた」
「なら、そのまま俺ん家ね。俺も今日休みだから車で送る。…大和、俺らの交換条件はまだクリア出来てないよ」
「はっ?」
俺の答えすら聞かない強引な仁に頑固だなと文句を言おうとしたら、思いもしない事を告げられた。
目を丸めて仁を見上げると、ふざけた様子もなく真面目な顔して見下ろしていたが、目が合った途端ニコッと笑みを浮かべた。
「俺がまだ落とせてないんだよね」
「…菫の話?他に誰か落としたい相手がいるって事?さっき居ないって言ってたよな」
「だから菫ちゃんは違うって。内緒だったからさっきは言わなかったけど、落としたい相手がいるから手伝ってよ」
「…誰を落とすんだ」
「そこまでは内緒」
仁はふざけた様子もなく微笑していて、何故か少しだけ後退ってしまった。
相手も教えてくれないのにどうやって落とす手伝いするんだよ。
「それなら俺は余計に家に居ない方がいいんじゃないか?」
「いや?そんな事はない。だから俺のところに来なよ。ちなみに来ないと臣にバラすから。どうする?」
「なんだよそれ…卑怯だぞ。拒否権すらないのかよ」
あまりにもどうしようもなくて諦めるように肩を下げた。すると仁は掴んでいた手首を少し引っ張り、反動で後退った俺を前に引き寄せてきた。
「俺、卑怯だよ。今更分かった?」
仁は射るような熱い視線を向けると、いたずら好きな子供のように口角を上げた。そんな心臓に悪い表情を直視することは出来ず、斜め下へと視線をずらした。
「終わったら連絡する。次変な真似したら分かってるよね?」
「…分かったよ」
「じゃ、よろしく」
悪びれた様子もなくニコニコ笑いながら仁は手を離すと食堂へ戻っていった。テラスから仁の姿が見えなくなった途端、壁にもたれ掛かって座り込んだ。
マズイ!今日から仁の家に俺はお世話になるのか?無理だろ。心臓が持たない。仁の落としたい相手がいるから手伝うけど、俺が仁の家に居る意味が分からない。住み込みで作戦でも立てるのか?
「なんだよ、もー、あのチャラ男。……離れられないだろ」
思わず漏れた言葉と熱くなった頰が隠しきれなくなってきた。
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