5:ビターハニーダウト

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*** リビングに居ない仁を確認して電気を消し、緊張したまま寝室の扉をゆっくりと開ける。寝室は火照った身体に心地良いくらいのエアコンで冷えていた。 「風呂ありが…とう」 その奥でベッドで隣のスペースを空けるように寝っ転がっていた仁の姿にドキッと心臓が高鳴った。 「これからは俺に言わず好きに使っていいから」 スマホを見ていた仁は目をやると、微笑みながらスマホを置いた。 俺にとってはあり得ない光景に動けないまま固まっていると、仁は眉を顰めながら左隣をポンポンと叩いた。 「何突っ立ってんの。早くおいでよ」 「お邪魔します…」 「いらっしゃーい」 つい数時間前に家にお邪魔した時と似たようなやりとりをする。あの時とは全く違う緊張感だった。果たして眠気は襲ってくるのだろうか。 距離を少しでも取るために離れようとしたが、ちょっとでも寝返りをしたらくっついてしまう近さだ。もう既に限界だったが、横からは真逆で楽しそうな声が聞こえた。 「誰かと一緒に寝るの久しぶりだな。高校の修学旅行みたいでなんか楽しくなってきた」 「…それは良かったな」 何が修学旅行だ。あの時は楽しかったし、焦ったような気持ちにはならなかった。今はただただ緊張しかしないし、こんな手汗の出方してなかったぞ。 そういえば最近は女の子と会ってないって言ってたな。こうやって寝るのも…俺が久し振り? 根拠のない言葉を思い出しては鳴ってはいけないと分かっているのに心臓の音は止まない。 ボーッとするように天井を眺めていると、触れていなかったはずの服同士がくっつくくらい距離を縮めてきたのが分かった。 「なぁ、楽しくない?」 「…っ」 甘い声につられて隣の仁に目を向けてしまうと、言葉が詰まってしまうような目線とかち合った。いつもは無造作にワックスを付けてセットしている髪がさらりと仁の目元に流れていて、妙に色気が増していた。 仁から離れたい。空気を変えるためにベッドから落ちてしまった方が楽かもしれない。なんて目の前の出来事から逃げたかった。 「な、なんか近くないか」 「だって大和、俺と同じ匂いがして新鮮だし」 同じ匂い?何言っているんだ、そんなの普通じゃないか。だって仁と同じシャンプーとかボディーソープとか使っているからだ。だからって近付く理由にはならない。 そして何でこんなに堪らなく嬉しそうな顔をしているんだよ。 目が合うだけでも嫌なのに、やたらと落ち着いた仁の言葉で分かりやすく眉間を動かしてしまう。動揺しているのはきっと気付いているかもしれない。 仁は此方へ身体を向け、ゆっくりと手を伸ばしてきた。仁の手が頭付近に近付いていき、髪を触られると気づいた時には伸ばされた手首を握り込んでいた。 仁にとっては何気ない行動かもしれないが、一歩でも攻めるような真似をすれば元に戻れなさそうな妙な雰囲気に限界を超えてしまった。 「し、修学旅行って言うから気になったけどさ、仁の学生の時はどんな感じだったんだ!?」 すぅっと息を吸い込み一気に話すと、想像以上に大きな声が寝室に響いた。少しだけ木霊したような声の音も聞こえなくなり、シーンと静まり返る。掴まれた時点できょとんとしていた仁の目が見開くと、顔が一気に緩んで笑い出した。 「ふっ…っ…あははは!ははっ…なに、話戻ったの?まじかよ。あははっ」 仁は我慢することなく俺が発した声量くらいの笑い声を部屋中に響かせた。こうなると何処かで分かっていた筈なのに、熱くなっていく顔に気づきながら掴んでいた仁の手を離した。 仁は仰向けになり片腕で目を隠すように伏せても、口角は楽しそうに上がっていた。 …これは仁も不自然に感じて笑ってんな。いや、違う!どう考えてもその前の怪しい雰囲気の方が不自然だろ。 「大和って面白いよな。…で、なんだっけ?俺の学生時代の話?」 仁は目にうっすらと浮かんだ涙を拭うと、俺の方へ体を傾け、左肘を付きながら頭を支えて目を細めて見つめた。 「うん…そう」 自分から話を振ったものの、咄嗟に思い付いた話だからこそ煮え切らない声が出た。 けど今は早く意識を飛ばして眠りについて忘れたい気分なのに無駄に長引かせてしまったな…。 仁は此方を向いていようが真正面から目を合わせる事は出来ず、仰向けで天井に向けたまま目線だけ仁の足元を見つめた。 「俺は今と何も変わらない。ずーっとこう」 「ずっとこうって、昔から女の子口説いているのか?」 「んー、まぁそうかも。口説くとは別だけど、小学校の時の担任に街で会ったことがあって、『貴方ナイチンゲールの事をどんな人物ですか?と質問したら、「病気の人達を救うために人生をささげた良い女」って答えた仁君?』って言われてさ~」 「どんな小学生だよ。良いオンナは余計だ。先生も記憶に残りまくりじゃないか」 生まれた時から生粋の女好き感が満載で、先程の雰囲気が嘘かのように払拭されていた。ある意味助かった…。
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