6:落とし堕とされ

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前は酔うほど飲んでたみたいだし、今日そんな量を飲むとは思えない。仁だって何度もあんな失態を犯さないだろ。 受け取ったビールは緊張を少しだけ緩和させるくらい美味かった。喉越しの良いビールを堪能していると、仁も満足している様子の笑みを浮かべていた。 「ハンバーグだけどさ、デミグラスソース付けて食べてよ」 「…味付けはレシピ見たんだよな?」 「そうだけどさ、とにかくデミグラスソースは付けて」 「なんだよそれ、何か怖いな」 「いいからいいから」と言う仁を疑いながらハンバーグを口に運ぶが、想像より美味いハンバーグの味が広がっていた。 「なんだよ、普通に美味しいよ」 「よかった。頑張ったって言ってもさ、やっぱり味が心配で。大和に美味いって言わせたいじゃん」 モグモグ食べている俺の様子をニッとした笑顔で見つめる仁に咀嚼する口を止めた。 …なんでそんな可愛いらしいこと言うんだよ。そんなこと言われたら良い気分どころでは無い。 しかもハンバーグとビールの組合せも悪くないし、お腹が空いていたという事もあるけど食べる手が止まらなかった。 「なんだよそれ。今度こそ俺が美味いって言わせなきゃいけない状況じゃないか」 「それも狙ってる」 仁がいくら意地の悪い笑みを上げようが微笑ましい状況に思える。 それにしても一緒にご飯を食べて、一緒に住んでる事が不思議だな。早く離れないといけないよりも、このほのぼのとした空間が無くなるのが惜しいと感じてしまった。 俺の定まらない気持ちは落ち着く気配は無い。 「あ、そうだ。見て」 仁は何かを思い出したように立ちあがった。鞄から透明のファイルのようなものを取り出すと、はがきくらいの写真を俺に向けて見せるように置いた。 「この写真って…前の撮影の?」 「そうそう。初めての撮影だから事務所の人が記念にくれたんだけどさ、結構な量を印刷したみたいで持って帰ってだって」 そこには雑誌関連で撮影した写真だった。公園の背景に見覚えがあり、前に仁のピアスを届けた場所だ。写真に写っている仁は今よりも黒く染めた髪色とシンプルな色のコーデなのに付けている時計や靴も全部がお洒落に着こなしている。そして何よりも仁がとても楽しそうで爽やかな満面の笑みを浮かべていた。   仁の撮影現場を実際に見たわけでもないのに、本当にこの仕事が好きなんだと再確認出来るくらい表情から伝わってきた。 「悔しいけど格好良いな」 「俺じゃないみたいだろ。初めて確認したとき吃驚したよ」 「絶対向いているよ、こういう仕事。実際はどうだったのか分からないけど、仁が楽しそうに撮影してたのかなって伝わる」 「へぇ、大和にはそう伝わってるんだ」 「……正直な気持ちだ」 「まぁ俺も正直な話、今働いている店の服が好きだし、それに関われる仕事で出来る事なら幸せだよね。大学の専攻とはぜーんぜん関係ない仕事だけどね」 仁は自分で言って呆れたように肩を竦めた後に、手に取ったビールがゴクッと喉仏を通るのが見えた。 「それでも自分の好きな事があるってだけで仁が羨ましいよ」 「俺が羨ましいの?大和だって先生になりたくて今の道に進んでるんでしょ?」 「あ…まぁ、そうだな」 なんとなくで大学に進んで、先生になる道も流されるように進んでいるから仁と同じではないかもしれない。そう言いたかったのに、真っ直ぐに好きな道を歩んでいる仁とはどこか違う世界を歩んでいるようで言えなかった。 「もう無くなっちゃった。ごちそうさま」 言いにくそうにしていたことを察したのか、それ以上聞いてこなかった。仁は空になったビールと皿を持ってキッチンの方へ向かう。 「俺もごちそうさま。それより俺が洗うから先に風呂行ってこいよ」 自分もタイミングよく最後のビールを飲み干した後にキッチンの方へ皿を持っていき、何も家事をしていない罪悪感を晴らそうと仁に声を掛けた。 「俺が洗うから大和が行っておいで」 「いいって!流石に俺にもさせろよ」 「分かった、じゃ今日は甘えようかな。…そうだ。この写真どうしよ。他に持っているし捨てるか」 「え!?捨てる!?」 聞こえた声に水を出して皿洗いをしようとした手が思わず止まった。振り返ると、テーブル付近で写真を片手に困惑したような仁の表情が見えた。 捨てるだって?仁の写真を?なんて勿体無い事をするんだよ。仁の写真だぞ。 「流石に自分の写真、こんな要らないしさ」 「せっかく印刷してくれたのに勿体無いだろ」 「なら大和が貰う?」 「…えっ、い、いいのか?」 まさか貰うなんて言われるとも思わず、隠しきれない嬉しさが声に出てしまった。ハッとして顔を引き締めるが、きっと表情にも出てたかもしれない。仁を見ると、明らかにその表情に気付いていたのか、何故か嬉しそうに俺の元へ来て顔を覗き込んできた。 「そんなに嬉しかった?俺の写真」 「嬉しいっていうか、捨てるなら俺が貰う…くらいだよ。変な意味は無いけど」 ヤバイ。変に思われたか?友達が友達の写真持つなんて変か? 平常心を保ちたいのに粗探しをするように先程の発言を振り返った。動揺してしまった顔を見られたくなくて、仁に背を向けるみたいに水場へ手を伸ばした時だった。 上から影が落ちてきたと思えば、背中に体温が分かるくらいくっついてきたのが分かった。紛れもなく相手は仁だと分かる。 自分の手が塞がっているどころか、一瞬の出来事で抵抗すら出来なかった。仁の片方の手は腰に回し、もう片方の手はまるで猫を撫でるかのように顎下を指先で上げてきた。 「いいよ、大和に全部あげる。…けどさ、写真ばっか見てたら嫉妬するから、俺が側に居ない時だけなら見ていいよ」 そして、こんな近くで聞いたことがない仁の甘く囁く声が耳元に響いた。
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