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03.新居
ディートフリートが現れたその日、ユリアーナはケーテの計らいで、仕事を休みにしてもらった。
久しぶりに、二人で足をそろえて歩く。
遠巻きに見ていた護衛騎士のルーゼンはついて来ず、そのまま離れて行った。
どうやら彼もこの町に住まうつもりのようだ。護衛が常にそばにいないということは、ディートフリートは本当に王ではなくなったのだなと実感する。
「まずは、ユリアの母君に挨拶をしたいのだが」
「あ……母は、二年前に風邪を拗らせて、父の元へいってしまいました……」
「そうか……残念だ。苦労したね、ユリア」
ディートフリートの言葉に首を振る。己の苦労など、彼に比べれば、きっと大したことはない。
小さな町では一瞬でユリアーナとディートフリートのことが広まってしまっていたようだ。二人で歩いていると、あちらこちらでおめでとうと声をかけられる。
「ユーリちゃん、よかったねぇ!」
ユリアーナがずっと独身でいたことを心配してくれていた、コトリ亭の常連のおばさんが声をかけてくれた。
「ありがとうございます、ヘルダさん」
「王様、ユーリちゃんをよろしくお願いしますよ!」
「僕はもう王ではないので、気軽にディートとでも呼んでください。もちろん、ユリアには苦労させた分、幸せになってもらうつもりです」
ディートフリートは嬉しそうに笑っている。その顔を見ているだけで、胸が熱くなる。
「それで、ユーリちゃんはここを出て行くつもりなのかね?」
ヘルダの問いかけに、ユリアーナは黙した。今のところそのつもりはないが、もしディートフリートが出て行くと言えば着いていくだろう。隣を見上げると、彼はにこにこ笑っていた。
「いえ、ここに住まうつもりです」
「住む場所は?」
「それはこれから決めるところでして」
「じゃあ、息子夫婦が住んでた空き家があるから、そこに住むかい? ああ、王様だった人にあんな狭い家は失礼か」
ヘルダはすぐに否定するも、ディートフリートは身を乗り出している。
「いいえ、どんな家でもすぐに住める場所があるのはありがたいです。ぜひ」
「本当かい? 家は人が住まなくなると傷んでしまうから助かるよ。先日掃除をしたばかりだから、すぐに住めるよ!」
嬉しそうにそう言ったヘルダは、家に案内してくれた。
二人で暮らすにはちょうどいい大きさの家だが、息子夫婦に子供が二人できたので出て行ったのだという。
それでもディートフリートにしてみれば、狭く感じるに違いない。
母が亡くなって、それからは宿の一室を借りていたユリアーナには十分すぎるほど大きい家だったが。
「何か不便があったら言っておくれ」
「ありがとうございます。これからお世話になります」
「じゃあね、ユーリちゃん。またコトリ亭に食べにいくよ」
「はい、ありがとうございました。ヘルダさん」
ヘルダが出ていくと、正真正銘の二人っきりになる。昔のように、護衛騎士もここにはいない。
まだ未婚とは言え、もういい年をした男と女である。
嬉しそうに家を見回しているディートフリートを見ていると、勝手に胸が高鳴った。
「楽しいな。新天地というのは、胸が高鳴る」
「あの、私もなるべく早くここに引っ越してこようと思います」
「え?」
「……え?」
ディートフリートの驚いた顔が飛び込んで来て、ユリアーナは首を傾げた。
そんなにおかしなことを言ってしまっただろうか。
一拍置いて、ディートフリートが恥ずかしそうに口を開いた。
「そうだよね、一緒に……ごめん、勝手に住まいを決めてしまった。ここに馴染むために、早く住居を決めなきゃと焦りすぎたみたいだ」
顔を赤らめて頭に手を置いているディートフリートを見ると、おかしくてかわいくて、愛が溢れ出してくる。
「ふふ、ディーったら」
「どうする? 違う家がいいなら早目に断って……」
ユリアーナは自然と形作られる笑みをディートフリートに向けた。
ディートフリートと一緒に暮らせるなら、どこだって天国だ。
「いいえ、私もここが気に入りました。この家で……ディーと一緒に暮らしたいです」
「ユリア……」
ディートフリートが目を細めて優しく笑ってくれる。こんなところも、昔とちっとも変わっていない。
愛おしい。この人が、こんなにも。
「結婚式は、挙げるかい?」
優しく微笑むディートフリートの問いに、ドキンと心が鳴る。
昔は、するべきものだと思っていた。
国民の前で華々しく、多くの人々に祝福されて。
けれど今は、もう四十歳だ。ウエディングドレスは少々気恥ずかしい。
それでもまだまだ憧れは、胸の内にくすぶっている。
「あの、私は……」
「僕は見たい。ユリアのウエディングドレス姿を」
「ディー……」
かぁっと顔が熱くなる。ずるい。そんな風に言われたら、断れないではないか。
「わ、私もディーのタキシード姿が見たいです」
「うん、見せてあげるよ」
嬉しそうに笑うディートフリートの耳も、少し赤くなっていて。
やっぱりかわいいひとだなと、ユリアーナはその耳に触れてみる。
誰にも咎められることのない二人だけの空間。二人の新居。
ディートフリートが、まっすぐにユリアーナの瞳を覗き込んでいて。
ユリアーナも、愛する人を見つめ返す。
「だいすきだよ、ユリア」
「ディー……私も、だいすきです」
二人は、本日二度目のキスを存分に味わった。
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