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素直にハルの言葉に従って身体を縮め、なるべくオーディエンスの皆さまから顔が見えないようにハルの胸に顔を近づけた。
途端に香るハルの匂い。
爽やかな洗剤に汗が混じったような、ちょっとお日さまみたいなニオイ。
なんだかとても懐かしい。
子どもの頃に戻ったみたい。
私がおとなしくなったせいで歩きやすくなったのか、ハルの足取りはしっかりしていて安定感抜群。ちっとも怖くなかった。
どこに向かっているのかわからないけれど、とりあえず人目につかず着物をなおせるところに連れていってくれるのだろう。
エレベーターに乗せられたことはわかっているけれど、他にも乗り合わせた人がいてハルに話しかけることが出来ない。
仕方なくそのままハルの胸に顔を埋めて黙っているしかない。
エレベーターを降りて少し歩いたところで
「水音、俺の胸ポケットからカードキー出して」
とハルが言った。
顔を上げると視線で私の顔のすぐそこにあるポケットを示される。
カードキー?
顔を伏せていたせいでここがどこなのかわからなかったけれど、どうやら客室のフロアに連れてこられていたのだとわかった。
「ここは?」
「いいから早く出して」
返事をしてくれるつもりがなさそうなのでおとなしく従いハルの左の胸ポケットの中を探ってカードキーを取り出した。
ハルがよっと声を出して私を縦抱きに変え、空いた右手で私から受け取ったカードキーを使ってロックを解除すると、スタスタと部屋の中に入っていく。
私をドアの前で下ろせばもっと楽なのにと思ったけれど、言うのは我慢した。
どうせ言うことをきいてくれないのはわかっている。
部屋に入って見回すとそこはどう見てもホテルの客室。
ちょっと広めのツインルーム。
「ハル」
縦抱きにされたままで努めて普段通りの声を出した。
「なに」
「どうしてここに私の洋服と靴があるのか教えて欲しいんだけど」
部屋の中にはベッドが二つ。
問題はそのうちのひとつ、窓側のベッドの上に見覚えのある花柄のワンピースが置いてある。
ベッドの下には先週買ったばかりのお気に入りのパンプスが。
どう考えてもおかしい。
私はここに来るのに自宅で母に着付けをしてもらって振袖でやって来たのだ。もちろん着替えなど持ってきていない。
どうしてここに私の私服があるのかってーこと。
「とりあえず着替えたら。苦しいでしょ、それ」
ハルはそっともうひとつのベッドに私を下ろした。
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