01.大海原に飛び込む気持ち?

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「そういえば、同行内と他行宛で振込用紙が違うのも紛らわしいって、今日キレられたんだけど」 「理不尽の極みじゃん。誰?」 「さっき話したネットアレルギーのじいさん」 「もうブラックリスト入り決定だな」 「というかさあ、うちらにややこしいお年寄りの相手は出来なくない?やっぱ小早川さんの出番でしょ」 「……え?」 「あいつには、なんか頼みやすい」という印象を抱かれてしまうことは正直、社会人生活の中でそこそこの地獄を見ることになると言い切れる。 ──何故なら、身をもって知っているからだ。 店先でテイクアウトの用意を待つ間も、私以外の3人は話が尽きない。そして話題の大体は、来店するお客さんや上司への愚痴で構成されている。 『昼休憩の外出は厳禁』 これは、どこの銀行でも昔から常識として扱われてきたルールらしい。特にテラーの私達のように制服を着る行員は身元を特定されやすく、会話から情報漏洩が起こることを防ぐ意味でも、原則支店内で食事をすることが定められている。 一時間設けられた昼休みでは、徒歩圏内のコンビニやお店のテイクアウトのみの外出が許され、私達はこうしてキッチン・クジでランチを調達することが多い。そして、古びた食堂で集まって食事をする。 ○町支店の女子行員は、支店の規模からしてもそこまで多くはない。更に窓口を留守には出来ないから、数人のグループごとに交代制で昼休憩に入る。つまり職場の女子グループの中で浮いた存在になったら、周囲に直ぐに気づかれるし、あっという間に此処は地獄に変わる。 三人からの視線が集まっているのに気づいて財布を握る手に力がこもる。ごくりと一気に喉を潤しても、何故か渇きが消えてくれない。 「小早川さん、そういうの得意でしょ。今度あの人来たら、カウンターの対応回しても良い?」 「お年寄りに好かれてるもんね」 「流石だよね〜偉い」 お願いごとに続く、私を煽てるような言葉は全く褒められてる気がしない。でも、事態の流れを読んでしまうと、ましてグループで1番歳下の私には此処で断る勇気が根こそぎ奪われる。空気を乱さないための得策を考えれば、正解はたった一つだ。 「……分かりました。受付番号教えていただければ、私の窓口にご案内します」 「助かる〜〜ありがと!!他でなんか出来ることあったら言って」 「小早川さん優しいから、まじですぐ頼っちゃうよね」 皆んなが顔を見合わせて、まだ褒め言葉が続いてる。でもそれを受けとる私の笑顔がどんなにつくったものか、誰も察することは無い。 支店に来られたお客様にはまず、受付用の番号カードが配布される。手の空いたテラーが窓口でその番号を呼ぶことで、そこで漸くお客様と対峙するという分かりやすいシステムだ。その中で彼女達にとって面倒な──つまり"ブラックリスト"に入っているお客様の対応を私が引き受けることになるのは、何も今日が初めてでは無い。 「皆さん、お待たせしました。ランチボックス4つです。今日のデザートは自家製ティラミスです」 引き攣った笑顔を浮かべていると、岳さんが紙袋を抱えて駆け寄ってきた。彼女達の興味が逸れてほっと肩を撫で下ろす。 「やった〜〜デザート嬉しいです」 「ミニサイズなのが罪悪感無く食べられてまた嬉しいよね」 「でもいつも、ぺろっと食べちゃってあっという間に終わるんだけど。おかわりしたいわ」 「いやそれ、ミニサイズの意味」 みんなの様子を見ながら必死に自分も笑顔を浮かべ続けていた。 いつも楽しそうに食後のデザートを口にする彼女達とは全く違う感情を持っていることに、どんなに下手な笑顔でもやはり気付かれる気配は無かった。
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