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夜の商店街を歩くのが好きだ。シンと静まり返った中、真っ直ぐな通りを歩くと何からも自由になれる気がする。
日付が変わるまで残業をした日は、タクシーを自宅ではなく最寄りのあだん堂商店街で降りて歩くことが多い。シャッターが降りた風景に心が落ち着く。
ぬるい初夏の風が吹く中、照明はぼんやりとした街灯だけ。
一日の終わりにこのルーティンをこなすことで明日の仕事も頑張れる気がするのだ。
ふと、商店街の本筋から離れたところの脇道に、何かの気配を感じた。
奇妙な感覚だったが、気になって物陰からそちらをみると、暗がりの中に子猫のようなシルエットが浮かび上がっている。
子猫か。お母さん猫は近くにいないのだろうか?
よくよく見てもお母さん猫は近くにいないようだ。迷い猫か捨て猫だろうか?
かわいそうに。でもうちのマンションでは猫は飼えないから関わるのは良くないだろう。
そう思って子猫には近づかずに帰路についた。
二日後。
その日も業務が立て込んで深夜に仕事が終わったので商店街を歩くことにした。
錆の入ったシャッターに趣を感じながら歩いていると、また例の脇道に気配を感じた。この前の子猫がお腹を丸出しにして眠っているようだ。
いわゆるへそ天という体勢だ。ずいぶんリラックスしているのだろう。小さいお腹が上下しているのが見える。その後ろは相変わらずの暗闇だ。
可愛いので思わず近づこうかと思ったが、せっかくリラックスしているところを起こしては悪いと思ったのでやめておいた。
一週間後。
年度末の仕事に追われ、帰路に着いたのは深夜二時を回ってしまった。しかし今日は金曜日かつ休日出勤の予定もないので、タクシーを商店街近くで降りて散策してから帰ることにした。
例の子猫がいることを期待して路地を覗いてみると、隅っこで蹲っているのを見つけた。何やら様子がおかしい。近くでカラスが子猫を狙っているようだ。
咄嗟に助けなければ、と思ったが後の暗闇が気になる。しかしカラスは子猫を狙っていて今にも突きそうな体勢である。どうする?
結局、子猫を助けに行くことにした。足早に子猫に近づくと、
チャカチャンチャン……チャカチャンチャン……。
狂った大正琴の様な音色が暗闇から聞こえてきた。ぞわり、と鳥肌が立つ。急いでここを立ち去らなければと思い子猫を抱き抱えると、ふわりとした感触が一転、ベタベタとした重油のように変化し、手の間からドロリとこぼれ落ちていった。
一瞬の出来事に茫然としていると、
チャカチャンチャン……チャカチャンチャン……。
暗闇から聞こえてくる大正琴の音が近づいてくる。
チャカチャンチャン……チャカチャンチャン……。
騙された。子猫は餌だったのだ。
恐ろしさのあまり後ろを振り返ることができない。
しかし好奇心とは恐ろしいもので、今「何」が近づいてきているのか確かめずにはいられない。
着崩した和服とへし折れた首、暗闇でも光るような白粉、耳まで裂けた唇を歪ませて女が近づいてきた。手には血が滴る草刈り鎌をもち、歪んだ笑顔でこちらを見つめてきた。
逃げなくては。
そう思うけれど足が動かない。
チャカチャンチャン……チャカチャンチャン……。
狂った音色と狂った女。可愛らしい子猫を使って人間を騙して――
チャカチャンチャン……チャカチャンチャン……。
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