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2、悪役令息の決意
グランドオール帝国。
百年戦争と呼ばれた大きな戦いが終わり、いくつもの国がまとまってできた大帝国。
今は賢帝と呼ばれるグラニオ三世の元、比較的安定した治世が続いている。
BLゲームの舞台となる場所なので、人々の恋愛に対する考えは前の世界とは違う。
まず女性はいるが人口が少ない。
そのため、恋愛や結婚は同性同士でも当たり前に行われている。
子供については、ゾウの神様に認められたカップルの元に、ゾウの妖精が届けにくるという、なんともファンタジーな世界だ。
生活レベル的には中世のヨーロッパくらいの設定だ。なければなんとかなるもので、電気のない暮らしというものに、慣れるのは簡単だった。
しかし一番俺にとって難解な設定は、この世界に奇跡というものが存在することだろう。
ごく稀に、聖力というものを潜在的に持つ特別な子供が誕生する。
その子達の誰もが奇跡を使えるようになるわけではなく、その中でも能力が開花するものとしないものに分かれる。
奇跡を一言で表すなら、超人的な力というものに近いと思う。
能力が開花すれば、自由に奇跡を使えるようになり、厄災から人を守り、病気の治癒や生活の質を上げるなど、様々な分野で活躍できて神の子と呼ばれ国の宝になる。
主人公はまさに、その特別な能力を持って生まれてきた。
ブラッドフォード伯爵家の領地にある孤児院に預けられていたが、その特徴的な容姿はすぐに伯爵の目に留まり、伯爵家に引き取られることになる。
後にゲームの舞台では、総愛されすることになる主人公アスランだが、子供時代は過酷なものとなっている。
両親に捨てられて、孤児院でも孤独に過ごす。
幸運にも貴族に引き取られて、家門の名前を与えられるが、伯爵がアスランを引き取ったのはあくまで利益のためだ。
能力が開花して神の子となれば、家に莫大な利益をもたらす。
そのために確保したに過ぎないので、伯爵がアスランに愛情を注ぐことはない。
そしてこの伯爵家には、アスランを徹底的にいじめて傷つける悪役、シリウスがいるのだ。
彼のおかげで暗くて辛い子供時代を過ごすことになる。
それはゲームが始まってからも変わることなく、やがてシリウスの悲劇的な最後に繋がるのだ。
カラカラと遠くから馬車の音が聞こえてきた。
俺は落ち着かない気持ちで、窓からその様子を眺めていた。
今日、このゲームの主人公であるアスランが邸宅にやってくる。
シナリオ通りに設定を繋いでいくには、アスランとの出会いは最悪なものにしなければいけない。
昨夜は寝ないで何度もベッドの上で考えた台詞を確認した。
近づいてくる物語の大きな波を感じて、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。
シリウスに憑依して、初めは好きなように暮らしてみようかと考えた。
目立つことは苦手だし、お金はありそうだから田舎に引きこもってもいいかな、なんて軽く考えた。
しかし、ゾウの神様からもらった概要説明の本を読んでみると、シリウスが物語において重要な役割を果たしているのが分かった。
シリウスが悪役として活躍しないことには、主人公と相手役との恋は成立しないと言っても過言ではないくらいの重要度だった。
そこで元来の真面目な性格の俺は、せっかく憑依させてもらったのに、自分勝手な都合で世界をぶち壊していいのかと悩み始めた。
とにかく責任感を感じたら、もう居ても立っても居られない性格で、シナリオを曲げて生きていくことなんて自分にはできないと諦めた。
悪役令息シリウスは、それは悲劇ともいえる最期を迎えるのだが、それすらも受け入れなければいけないという使命感が生まれてしまった。
その使命感に押されるかたちで今俺は立っている。
廊下から足音が聞こえてきて、扉がノックされる音が聞こえたら本番だ。
ビクッと体が揺れるのを抑えて、俺は思いきり機嫌の悪い顔を作った。
「失礼します。シリウス坊っちゃま。旦那様から、紹介して回るように仰せつかりました。先ほど到着して今日から邸で暮らすことになった、アスランです」
俺の部屋にのそのそ入ってきた執事が声をかけると、開け放たれたドアからゆっくりと少年が入ってきた。
成長後のビジュアルは確認済みだったが、生で見ると、その壮絶な美しさに思わず目が眩んだ。
聖力を持つ者はその外見に特徴がある。
銀髪であること、もしくは赤い瞳であること。
アスランはその両方を兼ね備えていた。光り輝くシルクのような銀髪に、白くて透き通るような肌、こちらも妖しく輝く真紅の瞳、完璧に整った相貌、後に絶世の美人と呼ばれる類い稀な美しさは、十歳にしてもうしっかりと現れていた。
痩せていて多少薄汚れているのが残念だが、綺麗な服を着せて食事を取らせれば、誰も文句は言えない完璧な美少年になることは間違いなしだった。
「伯爵様より、エルフレイムの名を頂戴しました。今日より、アスラン・エルフレイムと名乗らさせていただきます。シリウス様、どうぞよろしくお願いいたします」
アスランも練習してきたのか、それにしては綺麗にスラスラと挨拶をしてきたので、俺の方がドキドキして緊張してしまった。
あまりの美しさに魅入られてしまい、ぼけっとしていたら変な間が開いてしまった。慌ててゴホンと咳払いして気持ちを整えた。
「へっ、へぇー、平民の孤児を家に入れるっていうから、どんなのがくるかと思えば、臭くて汚らしいやつで目が腐りそうだ」
両手を腰に添えからふんぞり返って、いかにも性格が悪い顔をしてアスランを睨みつけた。
「おまけに、痩せっぽちで、骨と皮じゃないか。見ていられないね、そんなみすぼらしい姿でブラッドフォード家に入るなんて、恥だよ、恥、分かる?」
俺が嫌味ったらしくネチネチと言い始めたので、執事はまた始まったと頭に手を当てていた。
普段からこうやって散々文句を言って使用人達を困らせて、周囲にはうんと嫌われている。
アスランはというと、ルビーの宝石みたいな目を大きく開いて俺のことを見ていた。
表情は先ほどから全く変わらない。人形のような顔に見えた。
「臭い! 臭すぎる! この汚いのをさっさと風呂に入れろ! その辺に落ちてるものでいいから食わせろ! 俺を不快な気分にさせるな!」
「はっ、はい、申し訳ございません!」
不機嫌度マックスで地団駄を踏んでイラついた様子を見せたので、執事はいつものように青い顔になって慌ててアスランの背中を押した。
アスランだけは、何を考えてるのかよく分からない表情で最後まで俺を見ていたが、ぐいぐい押されて部屋から出て行った。
パタンとドアが閉まった。
ようやく一息ついて、俺は床に崩れ落ちた。
「ハァ……やった……できた……」
癇癪持ちで、わがままたっぷりのお坊ちゃんを演じてみた。我ながら上手くいったように思える。
アスランの表情が乏しくて、まったく読めないことが気がかりだが、きっと内心は怯えて嫌な気分になっていたに違いない。
ゲームの世界のシリウスがこんな行動を取っていたかは不明だが、八年後暴れ回ってアスランを追い詰める役どころを考えたら、まずは上々の滑り出しだと思われた。
それにしても、さすが主人公様だ。
圧倒的なビジュアルと存在感に、一人になった今でも興奮して手が震えてしまう。
そのまま顔を上げたら、遠くにある姿見に自分の姿が写っているのが見えた。
もう、かつての健だったころの姿ではないのは慣れてしまった。
鏡に映っているのは、十歳の上等な服を着た少年。
主要キャラクターであるから、それなりに見れる容姿ではあるが、キャラクター達の中では一番地味だと言っていい。
焦茶色の髪に、浅黒い肌、目だけはブラッドフォード家特有の紫の瞳をしているが、細くてつり上がっているので、全く良い印象はない。
シリウスというキャラの良いところといえば、家柄、それだけなのである。
ブラッドフォード家は百年戦争でも活躍した、かつて皇帝の右腕と呼ばれた騎士や、国家の頭脳と呼ばれた政務官を次々と輩出している由緒正しい家門、歴史ある名家だ。
シリウスが持っているものといえば、その名前だけ。
今は他国に遊学中だが、優秀な兄がいて、その兄が全て持って行ってしまった。
何をやっても兄に遠く及ばず、頭も腕も人並み以下。そのため父親からは嫌われていて、使用人達からは陰で笑われていた。
これでは自尊心なんてまともに育つはずもなく、性格が悪くなるのも仕方ないなと、シリウスの立場になってやっと気がついたものだった。
シリウスのことは母が大事にしてくれていたらしいが、シリウスが物心つく前に病気で亡くなってしまった。
ということで、俺が憑依した頃には、邸にシリウスのことを思ってくれる人間などいなかった。
もちろん、シリウスの態度もあったと思うが、シリウスの複雑な環境を知ってしまい、胸が苦しくなったのを覚えている。
「がんばれ、まだ始まったばかりじゃないか」
すでに胃が痛くなる兆候があるが、初対面でこんなに動揺していては先が思いやられる。
俺はアスランへの嫌がらせリストを作って、せっせと悪役への階段を上る準備を始めたのだった。
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