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3、寡黙な主人公
のろのろ。
小学生時代の俺のあだ名だ。
何をするにも人より遅くてオドオドしているので、そんなあだ名が付いてしまった。
走るのも遅い、給食を食べるのも遅い、質問に答えるのも遅い、考えるのも遅い。
俺にとっての普通は周りとは違くて、時間はかかっても言われたことはきちんとこなしていたのに、できた、終わったという時にはもう誰も俺を見ていなかった。
それが寂しいとか、嫌だなと思うことはあったけど、仕方ないと諦めて生きていた。
そんな俺が小学生の時、初めて動物園でゾウを見て衝撃を受けた。
大きな体でのんびりと動く姿になぜだか親近感が湧いた。
俺もゾウになりたいななんて思いながら、時間も忘れてゾウを眺めていたら、一匹のゾウと目が合った。
ニコッと笑ってくれたような気がした。
「なぜこの僕が、下賤の者と一緒に学ばないといけないのだ。不愉快だ!」
インク壺を倒しそうな勢いで机を叩くと、教師は身を縮こませて目を泳がせた。
明らかに不機嫌でイラついているお坊っちゃまのご機嫌を、なんとか取ろうと汗をかいて必死な様子だ。
貴族の子供というのは、自宅に教師を呼び様々なレッスンを受ける。
ブラッドフォード伯爵家でも、もちろん帝国で優秀だと言われる家庭教師が揃えられて、座学から剣術、馬術、あらゆる教育を受けていた。
俺が憑依してから一年ほどになるが、シリウスは幼少期から様々なレッスンを受けてきたらしい。
しかし残念ながら、何をやってもシリウスは秀でたところがなく、教師達も全く力が入っていなかった。
それが変わったのが先々週からだ。
このゲームの主人公である、アスランが授業に加わったのだ。
同じ歳であるが、幼少期から教育を受けてきたシリウスとアスランでは、学力に大きな開きがあったはずだ。
最初は文字もろくに読めなかったはずなのに、アスランはあっという間に文字の読み書きを習得し、本を読み上げ数字の問題を解き始めた。
教師達は手応えがなかったシリウスではなく、急に現れた神童に、完全に心を奪われて教え方にも熱が入ったのが明らかに分かった。
そしてシリウスの今までの教育は何だったのかという脅威のスピードで座学はほぼ追い越されて、なんと剣術や馬術においてもアスランは限りない可能性を発揮し始めたのだ。
第三者的な立場から見たら、これはシリウスは確かにいい気分ではないだろうなと笑うしかないくらいの無双っぷりを見せられた。
俺は自分の役割を果たそうと、最初はこのバカとか、アホとかドジとかそんな言葉をかけて蔑んでいたのだが、さすがにどう考えてもバカはこちらなのでその類のワードが使えなくなってしまった。
こうなったら後は身分をたてに文句を言うくらいしかできないので、今日もひたすらアスランと教師に向かって悪態をついていた。
「シリウス様、その……授業は一緒にと、伯爵様より仰せつかっておりまして……申し訳ございませんが、我慢していただくしか……」
「もういい! 僕の勉強は終わりだ!」
教科書を机に叩きつけて席を立った。
教師が頭を抱えて唸っている中、俺は不機嫌ですという顔で部屋から出て、ドアを大きな音を立てて閉めた。
部屋から離れてから、今日もいい感じに暴れることができたと一息ついた。
どの教師も同じように困らせて手を焼かせることに成功しているが、ひとつ問題があるとすればアスランだ。
この邸に来てから、授業以外でまともに喋っているところを見ていない。
毎日のように俺から悪態をつかれて、ひどい言葉を投げかけられているのに、言い返して来ないし顔色一つ変えない。
じっと人形のように押し黙って、ただ目だけしっかり俺のことを見てくるのだ。
主人公とはこんなに寡黙なやつなのだろうかと首を傾げてしまう。
神様からもらった概要本には、ゲームでのシーンが書かれていて、少しだけ見ることができる。
それによると、アスランはいつも冗談を言って仲間を笑わせるとか、アスランのくるくる変わる表情や笑顔にみんな目が釘付けとか心を奪われるとか、そんな風に書かれていた。
「そうか……、相手が俺だからあの態度なのかな」
心を許した相手には、明るく接するのかもしれない。よくよく考えれば、俺は敵みたいなものだし、弱みを見せたりしたくないのだろう。
あの美しい顔のアスランがどんな風に笑うのか。
立場的にそれが見れないことが、少しだけ残念だった。
「まあ、順調に嫌われてるってことだな」
俺の役割としては至極順調だ。
アスランとの関係は最悪だし、周りからの評判も最低だ。
このままいけば、完璧な悪役令息シリウスになれそうだ。
授業を途中で退席したので、俺は部屋に閉じこもることにした。
部屋に戻ったらまず概要本を一読することが日課になっている。
真っ先に確認するのは、やはりシリウスの最期だ。
ゲームはメインルートと、その他エンドルートに分かれていて、メインルートでは、国の皇子とアスランが結ばれてハッピーエンドになる。
そこに行き着くまでには、シリウスが妨害に妨害を重ねてくるのだが、それを全部上手く切り抜けばクリアできるという、よくある設定になっていた。
そしてシリウスだが、最終的に妨害に失敗して、大勢の前で今までの悪行を断罪される。
シリウスの最期は、断罪されてキレたシリウスがアスランに向かって斬りかかる。
しかしアスランを守るために皇子が剣を抜いて返り討ちにするというシナリオだ。
容赦なく斬られたシリウスはその場に転がって絶命するが、誰一人その亡骸に気を配るものはなく、その場を離れていく。
風に舞った薔薇の花びらだけが、虚しくシリウスの上に落ちてその死を悼んだ。
「ううっ……シリウス」
これから自分の身に起こることなのだが、完全にシリウスとして感情移入している俺は、この最期のシーンを見るといつも泣いてしまう。
血統のいい貴族の家に生まれるが才能に恵まれず冷遇され、途中から家に来た平民だが美と才能に恵まれたアスランに、これでもかと格の違いを見せられる。
その鬱憤を晴らすかのこどく、アスランをいじめ続けるが、それがいつしか強い憎しみになってしまう。
シリウスは家柄から皇子の婚約者(仮)に選ばれるので、自分の居場所をまたアスランに奪われたのだと思ったのかな、なんて色々考えて可哀想に思えてしまうのだ。
「かといって……、シリウスのシナリオを変えたら、アスランは皇子と結ばれなくなってしまうかもしれない。そんなことをしたら、ゾウの神様に申し訳ないよ……」
神様はシナリオについて何も言っていなかった気がする。
それは当然ルールとして守るものだからだろうと、俺は考えている。
いつもここで思い悩んでしまうが、結局シナリオ通り進めようという結論に至る。
自分が選んだのだから責任を持たないと。
自分でも頭が固すぎて嫌になるのだが、こういう生き方しか知らないのだからしょうがない。
とにかく予定通り悪役の演技を続けるために、俺は決意を込めてパタンと本を閉じた。
ガシャン。
花瓶が床に落ちて、薔薇の花が床に散らばった。
「うううっ……ひどい」
ふわりとした金色の髪が揺れた。
大きな目に溜まった涙がポロポロと顔をつたって床にこぼれ落ちた。
その様子を見て、胃がキリキリと痛んだが、もう後戻りはできない。
「ひどいわ! シリウス。こんなことをするなんて!」
「ロティ、この男は卑しい身分で、本来なら俺達と話すことも許されないんだぞ!」
「今はもう違うじゃない! 伯父様に一族としての扱いを受けているのよ! どうしていつも貴方ってそうなの? 本当わがままで自分勝手、最低ね」
大粒の涙を流しながら俺を睨みつけているのは、近所に住む従姉妹のロティーナだ。
二つ年上で、ブラッドフォード家によく遊びに来ている。
シリウスの幼い頃からの遊び相手だったらしい。
ゆるふわっとした甘い顔で、金髪に紫の瞳といういかにも守ってあげたくなるような可愛い子だ。
俺だって可愛いロティーナを泣かせたくなどない。
しかしアスランが邸に来てからもう半年、使用人や教師、そしてこのロティーナまでもが、アスランに夢中になってしまった。
ロティーナはアスランのために、自宅の薔薇園から、真っ赤な薔薇を持ってきた。
それをアスランにとプレゼントして、花瓶に入れてアスランの部屋に飾ったのだ。
ここは俺の出番だろうと、威張りながらアスランの部屋に入った俺は、二人の目の前で薔薇の花を花瓶ごと落として割って見せたのだ。
当然ロティーナは泣いて怒った。
アスランはというと、これまで通りまったく表情を変えずに事態を眺めているようだった。
「今度という今度は許さない! 私、もうシリウスとは口を聞いてあげない! 行こう、アスラン」
ロティーナはアスランの手を引いて、パタパタと走って出て行ってしまった。
アスランはまた俺のことを見ていたが、俺は腕を組んで怒った顔をしたまま二人が出て行くのを見ていた。
これでいい。
これでいいんだ。
みんなに嫌われて……
それが悪役令息なのだから……
それでもさすがにしょんぼりした気持ちになっていたら、部屋に入ってきた使用人達がてきぱきと割れた花瓶を片付け始めた。
ロティーナが持ってきてくれた薔薇の花も、片付けられそうになったところで、俺は思わず声をかけてしまった。
「それ、その花だけ、ちょっとくれないか?」
使用人は俺が声をかけたので驚いていたが、汚れを落として、傷ついていない薔薇を選んで俺に渡してくれた。
どうしてこんなことをしようと思ったのか分からない。
ただ、せっかく綺麗に咲いている薔薇の花を、俺の演出に使って捨ててしまう、というのが申し訳ないと思ってしまった。
新しい花瓶に入れ替えて、俺の部屋がある廊下に飾ることにした。
どうせ俺のやることになんてもう誰も注目しない。
あまりに横暴で、しかも主人に嫌われているお坊ちゃまの世話を、積極的にやろうなんて使用人はいなかった。
みんな最低限のことだけして、俺に怒鳴られないように逃げるように戻っていく。
いつも花が飾られていた廊下の花瓶は、ずいぶん前から何も飾られなくなった。
誰も寄り付かないので、辺りに人気はなくシンと静まり返っていた。
無事だった薔薇の花をさして、水差しで少しだけ水を流し入れた。
花は根本が深い赤色で上にいくにつれて、鮮やかな赤に変わっている。
どんな状況でも霞むことのない強い色が美しかった。
鼻を寄せて匂いを嗅いでみると、綿菓子のような甘い香りがした。
「ふふっ、いい匂いだ」
「花がお好きだったんですね。知りませんでした」
背後から声をかけられてハッとして体が固まった。
いっさい気配などしなかったのに、いつの間にか人がいたらしい。
しかもその声は普段ほとんど聞くことはないが、覚えのある声だった。
ゆっくり体を向けると、やはり思った通りだった。
「あ……アスラン」
俺の後ろにはアスランが立っていた。
いつものように人形のような顔でじっと俺を見ていた。
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