4、悪役令息の誤算

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4、悪役令息の誤算

「アスラン、なっ、なんだよお前、いつの間に……何しにきたんだ?」  花瓶に挿した薔薇の匂いを嗅いでいたら、いつの間にか背後にアスランが立っていた。  確かロティーナに連れられて、外に遊びに行ったはずだ。  なぜわざわざ、二階の奥にある俺の部屋の前にいるのか、理解できなくて頭が回らなかった。  呆然とする俺を見つめながら、アスランの人形のような美しい唇が小さく開いた。 「お礼を言いにきたのです」 「は? え?」 「その花、匂いが強くて苦手だったので、部屋に置かれてどうしようかと思っていました。おかげで眠りを妨げられずにすみそうです」 「………なっ」 「それと、普段からのお礼もちゃんと言えていなかったので。いつもありがとうございます」 「はい?」  さっきから何を言っているのか全然分からない。  だってそうだ、アスランがまともに会話をしているのは今が初めてだ。  教師の質問に答えることはあったが、会話らしい会話ではなかった。  この半年、俺は毎回捲し立てるように悪口を言って、一人で喋り続けてきた。  アスランはずっと何を考えているのか分からなかったが、黙って耐えているのだと思い込んでいた。  それがやっと話しかけてきたと思ったら、お礼を言ってきたので、理解できなかった。 「おまっ……頭、おかしいんじゃないのか? いつも俺が何言ってるのか聞いてなかったのかよ!」 「へぇ……俺って言うんですね。普段は僕って言ってるのに」  まただ。  また訳の分からない返事をされた。  このまま喋ったらボロが出そうな気がして、俺は口を閉じてぐっと押し黙った。 「話が長くて先に進まない教師には、うるさいさっさと進めろと言ってくれるし、服のボタンが取れていたら、こんな見窄らしい格好をさせるなと直すように促してくれる。他にも、数え切れないくらい……。この邸に来て、僕のことを一番考えてくれているのは、シリウス様ですよ」 「は? おれ……ぼ、僕が!? なんでお前なんかのことを!!」  まさか何を言い出すのかと、動揺して上手く言葉が出てこない。  確かにアスランが言った通り、アスランのことを一番考えているのは俺かもしれない。  ただしそれは、どういじめようか、どう傷つけようかという悪い意味でだ。  決して良い方向で考えてはいない。 「ずっと不思議だったんです。シリウス様はひどい態度や言葉を投げかけた後、痛そうな顔をしますよね? それにお腹を押さえて、苦しそうにしているのを見たことがあります」  心臓を殴られたみたいに衝撃を受けた。  顔には出さないように気をつけていたのに、アスランに見られていたなんて、なんという失態だろう。  冷や汗を流しながら、どうにか挽回できる言葉がないか探していたら、いつの間にかアスランは目の前に来ていて、勝手に俺のお腹に触れてきた。 「アスラ……っ、何を!?」 「可哀想に、ここが痛いんですか? 無理をしなくてもいいんですよ」  予想もしなかったありえない行動に、驚きで固まってしまい手足が動かなくなった。  アスランが俺の腹をシャツの上からゆっくり撫でて、そこが人肌でじんわり温かくなった。 「この容姿は昔から人を魅了するみたいで、周りはいつもうんざりするくらい同じ態度なんです。でも、シリウス様だけは、僕のことを最初からちゃんと見てくれたから……」  誤解だ!  絶対なにか、アスランと俺の間で何か誤解が生じている!  それを伝えたいのに、声を出そうとしてもパクパクと魚のように口を開くことしかできなかった。 「お腹……」 「え……?」 「温めると痛みが和らぐみたいですよ」  その言葉でアスランがずっと俺の腹を撫でていることがやっと頭に入ってきた。  慌てて後ろに飛び退いた俺は、壁に背中を打ちつけた。  痛みはなかったが、冷や汗がたらたらと背中を流れていくのを感じた。 「良かったら、いつでも撫でてさし上げます」 「いいいっ、いい! 大丈夫です!」  手当てでもしているつもりなのか。  間近で見たアスランの濡れた瞳に体が痺れたみたいになって、喋り方もおかしくなってしまった。  そんな大混乱で真っ赤になっている俺を見たアスランは目を見開いた後、ぷっと軽く噴き出してクスクスと楽しそうに笑った。 「いつも思っていましたけど、シリウス様って可愛いですね」  アスランが笑った。  そのことが衝撃で何を言われたのか、ちょっと遅れて頭に入ってきた。 「かっ…かっ! ぼ、僕をバカにしてるのか!! もう、話しかけてくるな!」  俺は転がりながら、何とか数メートル先の自分の部屋まで走って逃げた。  アスランが追いかけてきているわけでもないのに、慌ててドアを閉めて背中で押した後、そのまま床にペタリと座り込んだ。  あいつは……  アスランは何なんだ!?  何を考えているんだ?  逃げる時にアスランの顔なんて見れなかった。  いったい何が起きたのか、頭を整理しないとパニックで呼吸が苦しくて、倒れてしまいそうだった。  困ったことになった。  俺は何も変わらない。  今日もいつも通りふんぞり返って悪態をついて、教師を困らせていた。  それは通常営業なのだが。  問題はアスランだ。 「おい! アスラン! お前が問題を解くのが遅いから、授業が長引いたじゃないか!」  アスランは俺より高度な問題を、倍の量やっているので言いがかりもいいところなのだが、ここぐらいしか絡むところがないので仕方ない。  ノートに向かって文字を書いていたアスランはスッと手を止めて、俺の方を見てきた。  そして深紅の瞳を蠱惑的に細めて、にっこりと笑った。  とても子供とは思えない破壊力抜群の微笑みに、教師は涎を垂らしそうな顔ですっかり魂を抜かれていた。  俺だってドキドキしてしまうけど、魅入られていてはダメだと頭を振った。 「シリウス様、待っていてくださり、ありがとうございます」  銀糸の髪がサラリと揺れて輝き、薔薇の花のような唇から紡がれた言葉は、まるで天使が歌う音色のような……  じゃなくて!  しっかりしろ! 俺! 「ま……待ってなんかない! おい、教師! 僕は終わったから先に行くからな!」  言われてそうだったと気がついた。  わざわざアスランが終わるのを待つ必要なんてなかった。  俺は自分が終わった後も、アスランが机に向かっている姿を見ながら、大人しく座って待っていたようなものだった。 「僕も、終わりました」 「あ……お二人とも、よくできております。では次回は来週に……」  すっかりアスランに魅入られていた教師は、慌てて教科書をかき集めて立ち上がった。  大事な家の生徒に魅了されるなんて、バレたら大変だからだろう。  大げさに頭を下げながら、小汗をかいて部屋から出て行ってしまった。  俺は一人でサッサと帰るつもりが、アスランと二人残されてしまった。  なんたる失態……。  あの廊下で初めてまともに会話をしてから、俺のアスランいじめ計画はすっかり狂ってしまった。  もう訳が分からなくて、あの日のアスランはおかしかったのだと結論づけた。  すぐに調子を取り戻そうと、翌日からアスランにひどい言葉を投げつけているのだが、俺が話しかける度に、アスランは笑うのだ。  それはそれは、とっても嬉しそうに……。  アスランは今まで誰にも笑顔を見せたことがなかった。  その無表情っぷりから、成長後に心を許した恋人や友人に向けるものだと思っていたが、それがなぜか俺に、敵であるこの俺に惜しげもなく披露されている。  文句や嫌味を言っているのに笑顔で返される状況は、俺の想定していたものとは程遠い。  一周回ってこれが向こうの攻撃なのかもしれないと考えたが、なおさら理解不能で考えているだけで疲れてしまった。 「お前さ、何で俺が話しかけるとヘラヘラ笑うんだよ」  もう本当に疲れてしまった。  二人きりになった部屋で、俺はどうせなら本人に聞いて、今後の対抗策を練ってやるとついに開き直った。  アスランは俺の顔を宝石みたいな目でじっと見つめながら、またクスリと笑った。 「考えていたのです。シリウス様を見るとこの胸に浮かんでくる感情が何なのかを……くすぐったくて、甘い気持ちとでもいうのでしょうか。先日ちゃんと言葉を交わしてから、素直に受け入れることにしたのです。そしたら、……嬉しくてたまらなくて、つい……顔が綻んでしまうのです」 「……全然分からない。つまり僕と戦いたくて、ウズウズしている、ということか?」 「うー……ん、少し方向性がズレましたが、合っている部分もあります」  アスランを見ると、とてもこの年代の子には思えない。落ち着いていて、市井で暮らしてきたくせに丁寧語もすっかり使えるようになっているし、今だって言ってることが前世持ちの俺より数段上をいっている気がする。  この伸びしろこそが主人公の特権というやつなのだろうか。 「よく聞け、俺はお前をブラッドフォード家の一員としては絶対に認めない! 僕とお前はライバルだ。ヘラヘラ笑ってられるのも今のうちだぞ」  顔の前にドンと指をさして、ライバル宣言することにした。  このくらいすればさすがに不快になるだろうと思ったが、アスランはまた嬉しそうな顔で笑った。 「ずっと、虫ケラと言われていたのに、ライバルまで格上げしてくれるんですね! シリウス様、嬉しいです」 「う、嘘だろ……」  アスランは本当に嬉しそうで、顔を赤らめて俺の手を握ってきたので慌てて振り払った。 「この前もそうだし、すぐにくっ付いてくるなよ! 平民の世界では当たり前かもしれないが、貴族は気軽に他人に触れたらダメなんだぞ」 「そうなんですね……、ごめんさい。僕まだよく分からなくて……」  どうやら人との距離感が分からない様子のアスランに、ついちゃんと教えてあげるみたいなことを言ってしまった。  マズかったかなと思ったが、何度見ても問題なのはこの壮絶な美形だ。誰にでもあんなにベタベタ触れていたら、勘違いする輩も出てきて家の問題にまでなりかねない。  さすがに子供時代に事件とか起こるのは勘弁なので、そこは教えておかないといけないと頭を切り替えた。 「お前が何と言っても、俺達は敵同士だし、お前にひどいことをするのをやめないからな」 「はい、シリウス様。どこまでも付いていきます」  今度は触れては来なかったが、頬を赤くして目を潤ませながら俺に微笑んでくるアスランに、もうかける言葉が見つからなかった。  こいつは主人公の習性として、俺の攻略でも始めているのだろうか……  俺自身も四角四面で頑固な性格ではあるが、相手も同じような頑固で話が通じないタイプというのが、どう扱っていいのか分からない。  俺の悪役令息への道は軌道に乗ったはずだった。  いや、このアスラン以外の周りの連中は俺を恐れて嫌っているので、ゲームシナリオに沿っていると思われる。  やはり重要なのはアスランだ。  なんといってもこの主人公との関係は話の根幹に関わってくる。  俺を憧れだか尊敬だか分からないが、うっとりしたような目で見つめてくるアスランを睨みつけながら、作戦を練り直さなければと頭が痛くなった。  □□□
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