紫煙の空から

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そして迎えた正月。息子夫婦が我が家に来訪してきた。食卓を囲み雑煮と御節を食べると言うどこにでもあるお正月を過ごすことが出来て満足である。その席で息子の嫁がおれに頭を下げてきた。 「義父様(おとうさま)、なかなか孫の顔を見せに訪れることも出来ずに申し訳ありません」 「いいやいいや、そちらだって忙しいのだから仕方ないだろう」 しかし、息子の嫁は首を振った。 「私、煙草のニオイがどうしても駄目で……」 「ああ、そのことかね。話を聞いて禁煙したよ。今まで迷惑をかけて申し訳なかったね」 ああ、おれもここまでよくも嘘八百を述べられるものだ。遠い未来、おれが死んだら閻魔大王にヤットコで舌を抜かれるだろう。浄玻璃鏡で晒される黒歴史の一つを今刻み込むとは罪深い。 「いえ…… そんな…… こちらの我儘に巻き込んでしまい……」 「まぁ、禁煙してから体が軽いんだよ。秋口に受けた健康診断でも良好だ。100歳まで生きる自信もあるぐらいだ」 「まぁ、義父様(おとうさま)ったら……」 おれは息子の嫁が作る雑煮の餅を口に入れた。おれは東日本の出で、雑煮の餅は角餅と相場が決まっている。妻も同じく角餅だ。それも小ぶりな大きさである。だから正月の雑煮には新鮮味がないと兼兼(かねがね)思っていた。息子の嫁は西日本出身で雑煮は丸餅だ。それも口に頬張るには大きなものである。普段とは違う雑煮をおれは楽しみにしていた。おれはその丸餅を半分口の中に放り込み、ある程度咀嚼した段階で飲み込んだ…… つもりだったが、喉の途中で餅が止まってしまった。 気が付いた時には、おれはおれの姿を天から眺めていた。息子夫婦がおれの背中を必死で叩いたり、掃除機を口の中に入れて餅を吸引しようとしているようだったが、駄目だったようだ。餅を喉に詰まらせるような年齢(トシ)でもないのに…… なんということだ、おれは死んでしまった。 「今日からおれは禁煙するぞ」と宣い続けるも、禁煙も出来ずに姑息的にその日を乗り切ることも出来ずにいたおれの人生の末路がこれとは…… 不条理なのか因果応報なのかもうわからない。 ただ言えるのは、人間は何があって亡くなるかわからないと言うだけだ。                            おわり
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