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「あの……どうぞ」
「ああ……すまない」
妻は、今日、初めて夫婦そろっての夜を迎えている。嫁いで来たときは、すでに、夫は、都へ旅立っていた。
戻って来ても、妾の所へ足を運ぶばかりで、共に夜を迎えた事がなかったのだ。
勧める酒を、夫は黙って飲み干していた。
姑は、今宵一晩、知人の屋敷に身を寄せると出かけている。
そんな入魂の友が近くにいたとは初耳だった。
ともかく、子を作れとばかりに、姑は自分の部屋を明け渡してきた。
夫も、なにやら母親に釘を刺されているようで、寡黙に座している。
互いに、話すことなどなく、ただ、酒を勧めるしかなかった。
夫も、黙って杯を突き出すだけ。その繰り返しが続く。
酒が、杯に注がれるのを確かめている夫のまなざしに、妻の手は震えていた。
前には、夫という名の、立派な若者がいる。
「今宵は、この辺で……」
しかし、夫はすっくと立ち上がった。
「お、おまちを!」
何が不満なのだろう。
これでは、また、姑に叱られてしまう。
だが、いっこうに夫の態度は緩まず、迷惑そうに、こちらを見るだけだった。
このままでは……。
気が焦り、妻は、立ち上がる夫の腰にすがりついた。
「は、放せ!!」
とたんに夫は叫び、妻を突き放した。
その力加減には思いやりなど感じられず、お陰で妻は、床に転がり、ひたすら腰を打ち付けた。
それでもひりひり痛む腰をかばいながら起き上がる。
そして、必死に頭を床にすり付け懇願した。
部屋まで与えられながら、何もなかったでは、姑の怒りはいくばかりか、今度ぱかりは、離縁されるのが目に見えていた。
代わりに、あの妾とやらが、屋敷に迎え入れられるのだ。
口惜しい……。
いや。
今更、実家に戻れるわけもなく、もう、行き場所はない。それを思うと、ただただ、夫に、頭を下げるしか手はなかった。
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