I. 側妃の罪状

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I. 側妃の罪状

 城下の町に号外が飛んだ。  内容はアナスタシア皇后にリリアン側妃が毒を盛り、暗殺未遂を謀ったというものである。皇帝陛下の寵愛を競う立場ながら姉妹のように仲睦まじいとされていた二人の事件に、国民はおろか彼女達の侍従までもが驚愕した。  この件をどう処理すべきか、二人の夫──皇帝は思案に暮れた。愛した女二人の内一人は未だ今際の淵を彷徨い、かたやもう一人は犯罪者となったのだ。  皇后の座を狙ってのことだったのか、それとも皇帝の愛を独占するためであったのか──。  城内では動機はこの内のどちらか、或いは両方であろうと推測されており、そうなるとリリアンに情状酌量の余地はない。  しかし安易に側妃を裁くことは憚られた。皇后は政策において功績を収め、側妃は慈善活動に熱心に取り組み、どちらも国民からの支持は厚い。「我らが国母となるであろうかたへ牙を向けるなど」と憤る者もいれば、このような事態になっても「何か事情があったのでは」と言う者もおり、可能な限り国民の惑乱を避けるためリリアンの処遇は非常に繊細に扱う必要があった。  侍女と見紛う茶系色の大人しい服に身を包んだリリアンは憲兵に連れられ玉座の間に入り、皇帝の御前で膝をついた。リリアンはアナスタシアのように誰もが振り向く美貌の持ち主ではないが、素朴な愛らしさを持った女だった。皇后が近付き難い美しさであるのに対し、側妃は他者を包み込むような微笑みを纏う。  それが今はどうだ。常にあった微笑みは抜け落ち、薔薇色だった頬は血の気が失せてしまっている。  そんな彼女を見つめ、皇帝は悲痛の面持ちで口を開いた。 「何故このようなことをした。アナスタシアとはあんなにも懇意にしていたではないか」 「恐れながら陛下、仲が良いふりなど女にとっては容易いことですわ」  滔々とした口振り。目を伏せたままのリリアンは当事者であるのにまるで興味がないかの如く粛々としている。涙を流し震えながら、我々が考えているものとは別の事情を聞かされるかと思っていた皇帝は、些か戸惑いを覚えた。  小国の末姫で野心もなく弁えている女だと思っていたのに、本当に皇后の座や皇帝の愛を独占する為にアナスタシアを殺そうとしたのか。  この状況で冷静かつ無表情でいるリリアンの姿は、それを肯定している風に見えた。可憐な少女ではない、自分が知らぬ彼女の一面を見せつけられている、と皇帝は思った。 「私はそなたのことも愛している。だがこのような事態になっては……」 「皇后陛下は、どうなりましたか」  皇帝の言葉を遮るなど不敬にあたるが、それほどアナスタシアの安否が気になるのかと、やはり良心が咎めるのかと皇帝はリリアンの中に僅かな光を見た気がして、ようやく自分の知るリリアンが垣間見えた気がして少しだけ胸を撫で下ろした。皇帝が知っているリリアンは他者を傷付けて平然としていられるような女ではないからだ。 「宮廷医師が治療にあたっている」 「……まだ死んではいないのですね、残念だわ」  心の臓が、瞬く間に凍りついていく。  足元から鳥が立つ思いで、皇帝は立ち上がった。堪らず剣の柄を握ろうとする己が手を、皇帝としての矜持で抑え込む。恐ろしいことを平然と口にする、目の前にいるこの悪魔の如き女は本当にリリアンなのか疑わしくさえあった。 「そなたがここまで残酷な人間だったとは、見損なったぞ……!」 「恐れながら陛下、愛とは時に人をここまで残酷で冷酷にするのですよ」 「愛を人殺しの言い訳にするな、そなたのそれはもはや愛ではないぞ」 「そう思われるのなら、陛下は幸せものですね」  玉座の間に入ってから今まで感情のない人形のようだったリリアンが、初めて僅かに感情を滲ませ疲れたように笑った。  そのような微笑みを見せられては、酷く胸が痛む。自分の二人への接し方に何か問題があったのでは。それにリリアンは不満を募らせていったのではと、皇帝の頭を擡げる。  しかし今こうして捕らえられ皇后の座につくことも皇帝の愛を独占することも最早叶わないのに、未だ皇后の死を望んでいるとは、皇后に相当な恨みを抱いていたのか。皇帝から見てアナスタシアはそのような恨みを買う女ではないが、けれどリリアンと同じように、アナスタシアにも自分が知らぬ恐ろしい一面があるのかもしれなかった。  皇帝は己を諌め、脱力したように玉座へ再び腰を下ろし、深い溜め息を吐く。 「王都の果ての塔で余生を送りながら、自分の犯した罪を天とアナスタシアへ懺悔し、贖罪とせよ」  それが──リリアンへ下された罰であった。  果ての塔とは身分の高い囚人が送られる場所である。一般的な牢とは雲泥の差だが、そこから終身出ることは叶わない。 「だが万が一アナスタシアが助からなければ、私も庇いきれぬ。アナスタシアがそなたの厳罰を望む可能性も十分にあり、その際は当然アナスタシアの意見を尊重する。心の準備をしておくように」  リリアンは再び機微のない人形に戻ったように何の反応も示さず、口を噤んだまま皇帝の言葉を聞いていた。  花咲く笑顔を携えた妖精と(たが)える彼女は何処へ行ったのか、永遠に消え去ってしまったというのか──。  憲兵に連れられていくリリアンの背を、皇帝はかける言葉もなく見送るしかなかった。
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