プロローグ

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プロローグ

 ──2099年7の月。突如、膨大な量の彗星群が地球に衝突した。そして彗星から発せられた膨大な落下エネルギーは、人類の大半を死に至らせた。  落下後に溶けた彗星の水分は蒸発し、上空で雲となり、豪雨としてまたしても人類の上に降り注ぐ。そして許容範囲を超えた水は海面を上昇させて、ついには小さな島国や標高の低い地を覆い尽くした。  生き残った人類は押し寄せる波間から無事だった標高の高い山岳地帯に集まり、濁流に飲まれていく文明の残骸を見ては涙を流した。人類は新たな発展と生活を余儀なくされたのだった。  ただの氷の塊である彗星が大気圏で燃え尽きずに地上まで到達した原因については、未だに解明されていない。  ◇  神秘的な青が広がる海中。ダイバースーツを身に纏う私は、海面に向かってゆらゆらと泳ぐ。ゴーグル越しに見える世界では〈US(アンダーストリングス)〉たちがあくびの出そうな速度で揺蕩っていた。おや? 100メートルほど先からこちらに向かってくるアレはイチイアジの群れだ。海面から差し込む太陽の光に照らされて、体表の赤い粒が毒々しく輝いている。しかし私の周囲で鈍く鳴るヴァイオリンの音色に嫌悪感を抱いたのか、進行方向を180度変更してしまった。 「エルピス、底はどうだ?」  海面から浮上すると、船上の男に声をかけられた。長さ35メートル、幅15メートル、旋回ジブ起伏式自航起重機船、旧都市サルベージ〈シー・ガル号〉の船長エルドレッド・ミラーだ。  私は船上へ上がり酸素ボンベに酸素マスク、ゴーグルを外して、ゴーグルの側面についている電源を落とした。このゴーグルは1500メートル先まで見渡すことができる、双眼鏡の機能がついている。性能は素晴らしいが、電力の消費量がやたらと大きいのが難点だ。 「お疲れ様です」船上で待機していた乗組員がタオルを渡してきた。私が受け取ると、彼は私の周囲に散らばされたボンベたちを手早く回収し、甲板の隅っこの方でクレーンの点検をしている乗組員の所へそそくさと行ってしまった。 「ちょっと深すぎてこの長さじゃ引き上げは無理ですね。一旦引き返しましょう」 「収穫もなしに帰れってのかよ!? お上にドヤされるじゃねえか!」 「船長が『1000メートルでいける!』とかアホなことぬかして、そのまま強引に来たのが悪いんでしょーが!」 「あーウルセェへいへい悪うございやした」  エルドレッドは面倒くさそうに生返事した。熊ほどはありそうな巨体、口全体に髭を蓄えた顰めっ面。オーバーオールから覗く上半身には筋肉と胸毛以外何も纏っていない。万が一パンツを履いていないことが発覚した暁には、墓所に放り込んでやると決めている。  私はタオルでダイバースーツの水分を軽く拭き取り、上からウィンドブレーカーを羽織る。私の背後ではエルドレッドが甲板に背中を預けて、無精髭の生えた口からため息をこぼした。青空に向けられた視線は、虚でも見ているかのように生気を感じさせない。 「俺のご先祖サマの故郷なんだってさ。でも今じゃこの薄い塩水の下に埋まってるだぜ? 信じられねぇよな」  そう言ってエルドレッドは親指を下に突き立てた。今日の狩場はロサンゼルスのハリウッド。カリフォルニアの大都市も、今はに眠っている。 「……みんなの故郷もそんなもんですよ」  私は濡れた髪をタオルで乱雑に拭いた。346年前の大厄災以来、海水の濃度は5分の3まで下がっている。そのためか、髪や体が塩分でベタつく感覚はあまりなかった。  感傷に浸るエルドレッドの隣に私も寝転がる。〈シー・ガル号〉の船首に視線をやると、空に向かって伸びるクレーンが糞まみれになっていた。どうやら私が潜っている間にフタゴウミネコの止まり木にされてしまったようだ。  今回はエルドレッドの短絡的な発言により1000メートルのワイヤーを装備したが、探索地域の深度により長さを変えている。ハリウッドは1800メートル必要だった。出発前から分かっていたことだ。 「見たくなかったんですか」  私の問いにエルドレッドは鼻を鳴らした。 「ご先祖サマの過去の残骸なんて見たくねぇに決まってんだろうが。知ってるか? 346年前は電車とかいう鉄の塊が人を乗せて、地面の上を音速で爆走してたらしいぜ。ご先祖サマたちはそれによく乗ってたらしい」 「音速だとご先祖サマ死ぬだろ」 「そこはほら、超ハイテクなアレでだな……いや、そんな事はどうでもいいんだ」  エルドレッドはまたため息を吐いた。 「そんなスゲーものも、今じゃただの瓦礫なんだよ」  少しの間、お互い無言になる。ピェーッというフタゴウミネコの鳴き声の後、私から声をかけた。 「昔は〈ロケット〉とかいう鉄の塊が人を乗せて、空を光速で昇ってたらしいですよ」 「ハハハ! そりゃ凶器だな。ついでにフタゴウミネコにぶつかってくれれば御の字だ」 「フタゴウミネコになんの恨みが」 「いや……まあ、あれだよ。あいつら、なんか、こう……腹立つじゃねえか。あとクレーンの清掃費用と手間が浮く」 「そんな理由で……フタゴウミネコ、カワイソウ」  雑談を交わしながらも、ふたりとも周囲の警戒は怠らない。  周囲にフタゴウミネコ以外の生物の気配はない。だが、ここはUS(アンダーストリングス)の住処でもある。  彗星衝突により水位が上昇した際、原子力発電所が破壊され海中は高濃度の放射線に襲われた。放射線により遺伝子を破壊された海洋生物達は変貌し、従来の姿とはかなり異なった姿と知能を獲得した。それが〈Under(海底)()Strings(弦奏者)〉。彼らはひどく気まぐれであり、人間に友好的な態度を示すこともあれば、逆に襲いかかってくることもある。  USは基本的に深い場所を生息地としている。ロサンゼルスは深度1800、彼らにとって絶好の住処だ。 「船長はやる気ないみたいですし、今日はもう帰りましょう」 「……俺に、手土産なしに、帰れと?」  サルベージする気もないくせに。とは口に出さない。これ以上哀愁に浸られると面倒だからだ。 「私ぃ! 腹減ったですぅー!」  これ見よがしに両手で胃のあたりを抑え大声で叫ぶと、エルドレッドはようやく陰気な顔をやめて起き上がった。 「ガハハハッ、そうか、腹が減ったか! エルピスちゃんも育ち盛りだもんなぁ。そりゃあ3食おやつ付きじゃねえと嫌だよなぁ!?」 「チッ! うるさいなあ腹に石詰めて沈めますよ」 「おうおう物騒なこと言っても怖くねぇなあ。テメェらぁ! エルピスの腹の虫が限界を訴えているそうだ! 急いで陸に帰るぞ!!」  エルドレッドの掛け声に船員たちはケラケラと笑いながら各自持ち場についた。船長のエルドレッドはブリッジに移動して船のエンジンを蒸した。ゴゴゴゴと低く唸る音と共に甲板に振動が伝わってくる。これももう慣れた感覚だ。  私は甲板に寝転がったまま青空を仰いだ。太陽が少し傾いている。もう1時に差し掛かったようだ。  暫く海上を走っていると、フタゴウミネコが私から数メートル離れた先で甲板に降り立った。   フタゴウミネコ、頭は。 《雑談・甲板の2人》 「フタゴウミネコの頭は2つあるが、食う量も2倍だと思うんだよ。だからアイツらのクソの量は普通の鳥より多いんだ」 「でも胴体は1つですよ。なら胃袋も1つだと思います。と考えれば、1羽分の量しか摂取できないかと」 「だが脳みそが2つってことは脳を動かすエネルギーも2倍だろ? 1羽分のエネルギーじゃ足りねぇんじゃねえのか?」 「……」 「……」 「光合成してるんすよ」 「それもう植物じゃねえか」
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