大丈夫

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大丈夫

「じゃあ神崎さんのピアノと聞き比べたいから、あんたもこれ弾いて」 ほいっと手渡されたのは、さっきまで持っていた楽譜だった。いつのまにか、落としていたらしい。 横を見れば、神崎結愛も同じ楽譜を手にして困り顔だった。 さっきまで何ともなかった楽譜が、急にあの時のように見えてきて、吐き気がした。 音符が全て大人の瞳のように見えた。 部屋でたくさんの目に見つめられたあの日の恐怖。ピアノに触れられなくなってから、ずっとそうだった。 肩で息をして、唐突に床に手をつけた。 視界が目まぐるしく瞬いて、いつしかの言葉が脳内を駆け巡る。 ああ、そうだ。私は別に、ピアノが嫌いなわけじゃない。押し付けられた夢だけど、しっかり追いかけていた。楽しかった。 「君にしかできないんだ」 あの時までは、純粋に好きだった。 失敗できない。強い圧力に押されるまま舞台に上がって、先輩の代役としてコンクールに出た。 視線が怖くて、手が震えて。ぼろっぼろの演奏に、みんな唖然としていた。 懐かしい。あの時に書かれた記事の見出しは……。 【天才ピアニストは名前だけ!心に響くことのない演奏を披露!!】 だから、私はピアノが弾けなくたった。 私が弾かなくたって、才能を持っている子なんて大量にいる。 必要なんかないって。 「美琴、大丈夫?」 「ゆ……」 こちらを伺うような優しい目。優しい声。優しい音。 結愛が弾けばいいのに。なんて、思ったけれど、声に出すことはしない。 「大丈夫」 そう、大丈夫。今ならきっと、もう一度弾ける。
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