2話 九月十日に現れた歌詞

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2話 九月十日に現れた歌詞

 彼女の泣き顔が広がるその動画に、歌詞が字幕で表示されるようになったのは九月十日。  『下を向いた白い花をいくつも吊り下げ幾星霜。あなたの凍えた心の花瓶にアールグレイ。如雨露(じょうろ)の雨の中で七つ数えて。まだ見ないでまだ聞かないで。慈しみ悲しみ痛い以来』  そのことを知ったのは、俺が家から離れられなくなってからだ。食事も摂らず自室の回転椅子の上で膝を抱える。擦れた俺は抜け殻になって、もう動けない。何もかも上手くいかない。部屋のライトもつけないし、まぁ、つかない。  母さんは俺の大事なマンガ本を捨ててしまった。廊下で母さんの物静かな足音がする。フレグランススティックのボトルに、アロマ液を継ぎ足している母さんは寡黙。何を思って俺の部屋の前を行き来するのだろうか。  塾に通う本当の意味が分からなかった。勉強、学力、将来のため? 俺には自分で何かを決定する意思がないのかもしれない。何のための大学受験なのだろうか。高校受験のときは、やりたいことが分からないまま、合格ラインの学校に進学した。何か大きな目標に向かって突き進んでいる感じは全くしない。あの音のない動画の女の子「サミ」の動画を見る片手間にマウントレーニアのカフェラッテをすする。本来なら感じるであろうコーヒーと、舌から喉まで広がる甘味がしない。  学校の向こうには『社会』があるのだろう。『社会』って何? 「君たちは学校で守られている」って先生が言っていた。食うために仕事に就くことが『社会』の一員になるってこと? 「夢を叶えるための努力の一つ」とも言っていた。  矛盾している。俺は歯噛みする。  ガキの頃に保育園の先生が無理やり答えさせた質問は何だ? 『将来の夢は何ですか?』だ。プロ野球選手、女の子はお花屋さん。あと、男女ともに人気だったのはユーチューバー。叶う夢もあれば叶いそうにない夢もある。でも、その場しのぎの発言だ。プロ野球選手って言っていた友達は塾に行き、医者になると手の平を返した。花屋になると言っていた女の子は、高校生になった途端に帰宅部になって、そのうち登校拒否になった。  俺はというと、何をしている? 帰宅部だ。塾もない、アルバイトもない。それなのに『やることがない、目標がない――』  このサミっていう女の子の無音のミュージックビデオだけが救いだった。  音が聞こえないミュージックビデオとしてギネスに申請すれば、再生回数が稼げるんじゃないか?  世の中には『4分33秒』という全く演奏しない曲も存在するらしいし。 「下を向いた白い花をいくつも吊り下げ幾星霜」  どこをどう切って歌おうかと、好きに口ずさんでみる。俺の声は低くて野暮ったい。  終盤になると必ず涙を溜めるその女の子。惹かれて何度も見てしまう。ラストのサビだろうか。最後の歌詞は『お願い生きて。ずっとずっと、まだ見ぬ先まで。此岸(しがん)に留まって』  此岸ってなんだろう。彼岸じゃないのかと、辞書を牽いた。なるほど、「私たちのいる世界」か。  何でそんな回りくどい歌詞なんだろう。彼岸と此岸であの世とこの世を彷彿とさせる。そんな意図でもあるのか。
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