5話 君、聞こえてるの?

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5話 君、聞こえてるの?

 再生回数42回。  声が聞こえた。  彼女の歌声は、とても悲しげだった。予想通りの優しく柔らかい歌声だった。鼻から抜けるような、力の抜けるような声。それが心地良い。メロディーはエレクトロニカ。ときどき挟まる電子音。生演奏ではなく打ち込みの音楽。作詞作曲もサミと記載されている。彼女が小さな指でパソコンをカタカタ叩いて入力していると思うと、胸が温まる。   パソコンのモニターの右下には九月十七日の十一時と表示された。母さんはもう寝た頃かな。  初めて聞く歌声に多少狼狽えた俺は、マウントレーニアのカフェラッテを飲む。ついでに、ポテチでも買いに行こうとして、部屋から出ることができないと気づく。何してるんだろうな。ほんと。外は真っ暗だっていうのに。  電子音、テンポを刻むドラム、ジャズにも聞こえる。アジアの民謡にも聞こえる。ときどき、挟まれるコーラス。この声もサミ? 高音が気持ちいい。俺には裏声を使っても出せない音域。  そういえば、どうして急に音が聞こえるようになったのか。パソコンの音量調整ボタンは大にしても小にしても流れる音声の大きさは変わらない――。  あっという間に終わってしまったサミの歌。1分49秒が異空間へ閉じ込める。このトランス状態はもはや中毒症状と同じで、再生回数は60を超えた。彼女の歌声は決して上手いプロってわけじゃない、ビジュアルで売るわけでもない。ただ、一人の純粋無垢な少女がマイクの前で少し背伸びしているだけだ。  コメント欄に辛辣なコメントが掲載されていた。俺は鳥肌を立てて、文字を一字一句追う。「もっと大きく音を出せ」と書かれてバッドボタンを押されている。  サミになんてことを。彼女は勇気を出して声を出したというのに!  サミ……落ち込んでいないだろうか? そう心配してはっとする。  彼女の歌声が聞こえるわけがない! 動画の内容は変わっていないのだ。音声を収録して動画に合わせた? それにおかしい。音を出せとはどういうことか。俺にははっきり聞こえるのに、このコメント主にはほとんど聞こえていないということか。  動画の最後になると、いつもの動画と違うことが起きた。あのときの視線と同じだ。サミが俺を上目遣いに見つめてきた。俺は震えている。彼女、俺のことを間違いなく見えている。――ありえない。 「アールグレイじゃないんだ?」  彼女の問いに俺は頭を抱える。 「サ、サミ?」 「やっぱり。君、聞こえてるの? じゃあ、どうしてアールグレイ飲んでくれないの? カフェラテ。甘いのが好き?」  返答に困る。1分49秒の動画時間が……伸びている! 時間が99時間99分99秒になっている! 「……サミなのか」  パソコンのマイクやカメラを使ったことはない。使い方も分からない。それなのに、俺の声は間違いなくパソコンの中の、それもあらかじめ収録された動画の相手に伝わる。 「うん。サミだよ。本名じゃないけど」
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