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文芸部の部室へ向かう途中に、相馬から聞いた説明によると、相馬にかかってきた電話の相手は、相馬の幼なじみで文芸部部長の押井柚香だった。
柚香は、校門のところで小学生と思しき女の子に『今日、転校して来てるはずの、二年の春名周平はいませんか?』と聞かれたらしい。
彼女はここまで一人で来たと言い、引っ越して来たばかりのため、兄の周平がいないと帰れないと言う。
柚香は、幼い少女をこのまま一人にさせる訳にはいかないので、春名の妹を部室に連れて行き、相馬に春名周平を連れて来てもらうことにしたそうだ。
「ごめんね、なんか妹がいろいろ迷惑かけちゃって」
部室へ入るなり、周平が冷や汗をかきながら相馬と柚香に謝る。
「いや、構わない。妹さんが突然来たのは驚いたが、無事でなによりだ」
「麻里ちゃんも小学生と思えないくらい、すごくしっかりして可愛いから、一緒に話してて楽しかったわ」
柚香は、「ね?」と春名麻里を振り返って同意を求める。春名麻里は、柚香の方を見ていなかった。正確に言うと、入ってきた瀬野を、じっと見つめていた。心臓の前で小さい両の手をギュっと握り合わせて。
(いや、知らない子だ…)
生来と思われる明るい茶色の髪は、肩より少し長いくらい。やはり天然らしく緩やかにウェーブしている。
大きくてぱっちりしたアーモンド形の瞳と色白に、血色の良い紅をさしたような唇。今は噛みしめるように、キュッと引き結ばれている。
はっきり言って、ちょっとその辺にはいない感じの、目立って可愛らしい子だ。会った事があるのならば、覚えているはず。
なのになぜ、知っているような気がするのだろうか?
なぜ、痛いほど心臓が掴まれたような気がするのか。
「フミくん……」
(結衣……!)
頭に浮かんだ名前は、この少女とは似ても似つかない子のものだ。
もうこの世にはいない、たった1人の……。
「瀬野……?」
はっ、と視界が開ける。現実感が戻ってきた。
相馬が、蒼白のまま立ち尽くしている瀬野に近づいて、気遣わしげに声をかける。
「あ……」
だが、思ったように言葉は出てこなかった。
みんなが心配そうにみている。あの少女が泣いている……。
「悪い、ちょっと…体調悪いから帰る」
返事を待たずにそのまま背を向けると、ドアを開けて部室から足早に歩き去った。
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