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5
午後八時の駅前は、帰路を急ぐ人たちであふれている。
三路線が交差するくせに、ひとつしかない改札は、心臓みたいに一定のリズムで大量の人を吐いて、吸って、またしずまる。
改札に向かい合う形で置かれた、駅前広場のベンチに座る流の前を、すい、と風船がよこぎった。ちいさな手首にしっかりと持ち手を結わえられた子どもの両手は、二人の大人の間でぶらぶらとゆれている。『ミラーランド』の文字が躍る赤いショッパーを下げた笑顔のまぶしい人々が、疲れ切ったスーツ姿の会社員とすれ違う。
静脈と動脈。
誰ともなくつぶやく。死んだ血と生き返った血。なら、駅から十五分の『ミラーランド』は、さながら疲れきった現代人が息を吹き返す肺――と考えて、バカバカしさに頭を振る。
冬至の風が、切り付けるように鼻先をかすっていった。うつむいていた視線をあげると、広場の中央にそびえる銀の時計台が見える。二十時五分。門限をもう二時間も過ぎている。携帯の電源は、怖くて切りっぱなしだ。
帰るしかない。
それなりにいい子やってた中学三年生の自分には、自宅しか居場所はない。こんな時間に匿ってくれる友達もいなければ、ホテルやネカフェに飛びこめるだけの胆力もない。だから、帰るしかない。分かっていても、どうしても足が動かない。ぱた、と鼻先に水滴があたった。細い雨が降り始めていた。同じように座っていた人たちが、ぱらぱらと散らばるように立ち上がって、消えていく。
「ねえ、きみ」
はっと身体がこわばる。ぱっと強いひかりが目を焼いた。
「さっきからずっとここにいるよね。家出?」
青い制服。いかめしいベスト。こしにぶら下がった真っ黒な棒と、その奥の不穏なふくらみ。さっと血の気が引く。
へえー、警察ってちゃんと仕事してんだ。
頭のどこかで、そんな現実逃避の声がする。いやいや、そうじゃない。補導。説教。家へ連絡。
――いやあ、実は親が迎えに来る予定なんですけど、渋滞に遭っちゃってー。
のどまで出かかった言い訳はなぜだか声にならなかった。あれ? 風邪でもひいたかな。
はくはく、と二回口を動かして声が出ないことを確認し、流は一も二もなく逃げ出そうとした。でも相手はプロだった。ぱっと手首をとられてしまう。
「こら、待ちなさい!」
太い声で怒鳴られて、身体がすくむ。こわ。知らない大人に怒られるってめっちゃ怖い。不良ってみんな勇気あるな。イイ子で通っている流の心臓は過去最高速度で鳴ってるし、きゅっとしぼられた喉からはかすれ声ひとつ出ない。
「名前は? きみ、中学生でしょ。学校どこ?」
助けて。
ふっと景色がゆれた。いや、揺れたのは自分か? 眠りに落ちる直前のような、波間に身体をあずけて浮かんでいるような、抗い難いゆらぎ。
ぐにゃりと視界が歪む。慌てたようにのぞき込んでくる大人の向こうに、強く光る金星が見える。
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