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「……え?」  目を開けると、辺りにはだれもいなかった。つばとガムのしみ込んだアスファルトのうえを歩く大人も、デート帰りのカップルも、流を囲んでいた警官も、蒸発したみたいに消えている。  糸のように細く降る雨が水たまりに吸い込まれる。改札は鼓動を止めて、ホームのアナウンスもすべり込む電車の騒音も聞こえてこない。ロータリーの周りに並んでいた、居酒屋や学習塾、コンビニや脱毛サロンは眠ったように明かりが消えて、二十四時間営業のファストフードだけが灯台みたいにぽつんと光を放っている。  改札の反対側を向いたとき、流は息をのんだ。  時計台がない。  駅前広場の象徴だった、銀色の時計が、まるまる消えていた。  なにこれ、どっきり?  左手に巻いた時計を見て、さらに驚く。短針は二を指していた。狂うはずのない電波時計は、辺りの暗さを考えると朝の二時を告げている。  ひょっとして俺、気絶してた?  けど、あの状況で気絶したら、さすがに誰かが、屋根のあるところに運んでくれるだろう。放置ってことはないはずだ。ないよな?  じゃり、と砂がこすれる音で振り返る。  あ、ヤバい人だ。  驚いたように切れ長の目を見ひらいて流を見ているのは、二十代後半くらいの男だった。伸びた黒髪を首元で結わえ、臙脂の着物に藍色の帯を締めている。そんな恰好をしているのに、コンビニで売っているようなビニール傘をさしているのがちょっと笑えて、あわてて流は視線をそらす。  流の少ない人生経験プラス漫画知識が、若い着物姿の男(しかも早朝にひとり)なんて、ちょっと言えない職業なお方なんじゃないかと告げていた。少なくとも、積極的に絡みにいきたい感じにはなれない。  失礼しました、どうぞお気遣いなく。  そんな流のボディランゲージをまるっと無視して、足音は流に近づいてきた。  え、うそ。カツアゲされたらどうしよう。  なぜか国語の教科書に載っていた、クマに遭遇したときの対処法を思い出す。目を逸らさず、話しかけながら、ゆっくりと後ずさること。ああしまった、初手から間違った。 「おい」  男はやっぱり流に声をかけてきた。低い声が頭上から降ってきて、流はしぶしぶ顔をあげる。無表情だった。かすかにひそめられた眉の下の目は、凍ったみたいに冷たい。 「なんでしょう……」 「いや、なんでしょうはこっちのセリフだわ。なにしてんの? 子どもがこんな時間に」  そんなん俺が一番知りたい。 「いやー実はかくれんぼしてたら寝ちゃったみたいで」 「は?」
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