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「なんの」
「犯罪者にならないための?」
流が首をひねっていると、男はうっとうしそうに後頭部をがりがり掻いた。
「未成年を家に連れてくってのは、誘拐になりうるんだよ。本当なら警察に連絡するとか、誰か知り合いを呼べればいいんだろうけど、こんな時間だしな」
なるほど。流は深く納得した。
「尾幌さん、友達少なそうっすもんね」
「助けんのやめようかな」
「えっ、なんで」
「むしろなんで怒られないと思った?」
もういい。マサキは傘を閉じると、くるりと踵を返した。下駄のしたでアスファルトがざりざり鳴る。流はあわててその背中を追いかける。心臓がどきどきしていた。補導されそうになったときとは違う、足元が浮き上がるような、心地よい高揚だった。
マサキは、流を尊重してくれた。子どもとしてだけれど、ひとりの人間として、権利を、身体を、守ってくれようとしている。そのことが、まるで本当の名前を生まれて初めて呼ばれたようにうれしかった。
口は悪いしそっけないけど、いい人なんだろうな、たぶん。
迷ったのは一瞬だった。今が朝の二時だとして、始発が動くのが五時過ぎ。三時間、外にいるのはつらいし、少しお邪魔してお茶でも飲んだら、出て行けばいい。ちょっとでも変な素振りをしたら逃げればいいし、けど、たった数時間の雨宿りにすら誘拐とか警察とか気にする人が、変なことをするとは思えない。
それでも悪いことが起きたら、それはもう、流に対する罰なのだろう。
霧のような細かい雨はいつの間にか止んでいて、たっぷり水気をふくんだ風が吹き抜けていく。噴水のそばを通ったときのようなそれが心地よい。
「すみません、ほんの出来心で」
「出来心で大人ディスるな」
「本当のことしか言えない性格で」
「その発言がもうウソだろ」
はあっと大きなため息をつくマサキは、それでも足を速めたりはしない。よどみなく歩を進める足元を、集まった雨水が追いかけるように流れていく。
「名前は?」
「甲斐流です」
「ナガレね」
マサキは当然のように呼び捨てにする。家族以外の人に名前で呼ばれることがあまりなかったから、なんだかむずむずする。
「つーか、それ、冬服だろ? 暑くね?」
「え?」
学ランを見おろす。二年の半ばに買え替えた、詰め襟の学ランはもうだいぶ小さくなってきて、けれどあと数か月で卒業だから、下にパーカーを着込んで、だましだまし使っていた。
暑い。
気づくと、一気に汗が噴き出てきた。え、なんで? だって今は、十二月で。
ロータリーを取り囲むビルの壁にはまった電光掲示板に目が吸い寄せられる。
『八月二日』
まばたきをした。何度も。何度も。
「あの、つかぬことを訊きますが」
「なんだよ」
半歩前を歩いていたマサキが、肩越しに振り返る。
「今って、何年何月何日ですか?」
マサキはかすかに首を傾け、それから十五年も先の年を口にした。
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