03・鶯、愛を唄う

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 クロと暮らし始めてから知ったことだが、彼は雨が降ると必ず外出する。  なにをしに、そしてどこへ行っているのかはわからない。だけど必ず、雨が降り始めると店を出て、そして雨上がりと共に帰ってくる。奇妙な習慣だが、なんとなく訊くのもはばかられて、僕はその行動の意味を問いただしたことはない。  この日も冷たい雨が降っていて、クロは朝から外出していた。二月に入ったとはいえまだ外は寒くて、長時間雨の中に居たら体が冷えてしまうことだろうと心配になる。  なにか温かい飲み物でも用意してやるべきだろうか。そう悩みながら客の居ない店内をうろうろとしていると、カラカラと響いた引き戸の音がクロの帰還を告げる。 「クロ! お帰り!」  タオルを引っ掴んで駆け寄れば、クロはそんなに濡れてないよと笑って傘を畳む。そうは言うものの、彼が持って行った傘は小さくて、覆いきれなかった肩に雨染みができてしまっていた。 「外は寒かっただろう。風呂でも沸かそうか」 「そこまでしなくてもいいよ。シロさんは過保護だなぁ」  子供じゃないんだからと呆れるクロに、僕は気恥ずかしくなる。幼い兄弟の面倒を見ていたせいか、どうも人の世話を焼く癖が抜けないのだ。クロの言う通り、一つしか歳が変わらないのに変に子供扱いするのも失礼な話だろう。  ──チャ、チャ、  自分の悪癖を反省していた僕は、不意に響いた音に目を瞬かせる。耳をくすぐったその微かな囀りは、クロから聞こえたように感じた。 「ああ、いけない。忘れるところだった」  そう言ってクロが背中を向けると、彼が着ているパーカーのフードから小さな生き物が顔を覗かせる。甲高い(さえず)りを発して首を傾げる、くすんだ黄緑色のそれは。 「……ウグイス?」  僕の呟きに反応して、小鳥が再びチャ、と地鳴きを発する。 「そう。彼とは顔馴染みなんだけどね、ちょっと頼まれごとをされたから連れて帰ってきたんだ」 「頼まれごと?」  ウグイスからの頼まれごととはなんだ。そもそも、ウグイスと顔馴染みとはなんなんだ。一人混乱する僕をよそに、クロは平常運転で話を進める。 「なんでも、歌を教えてほしいみたいなんだよね」 「う、歌?」 「そう。春先のあの鳴き声がウグイスの求愛だって、シロさんも知ってるでしょ? 若いうちはまだ囀りが下手だから、年長者の囀りをマネして上達していく。……のだけれど、彼は若鳥でもないのに囀りが下手でね」  驚いてフードに埋もれているウグイスを見やれば、小鳥は情けなさそうに項垂れる。その落ち込み方は人間のようで、心の底から自分の不甲斐なさを恥じているみたいに見えた。 「でも、どうして今になって?」  僕が尋ねれば、クロは苦笑して、どうしても愛を告げたい人が居るそうなんだと答えた。 「その人は歌が下手でも構わないって言うんだけど、だからこそちゃんと歌ってやりたいんだってさ。そこまで言われたら、協力するしかないじゃんね?」  ねえ?とウグイスに語りかけたクロは、しかしそこで盛大にクシャミをした。強がってはいたものの、やはり体が冷え切っていたのだろう。  僕は慌てて温かい飲み物の準備を始めながら、小さな来客のために、鳥でも食べられるような果物を物色するのだった。
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