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ウグイスが訪れなくなったのは、梅の花が零れ落ち始めたころだった。
クロの尽力で綺麗に歌うようになったウグイスは、お礼代わりというように紅梅を一枝残して、それきり姿を見せなくなった。
ウグイスの恋慕をこっそり応援していたとはいえ、毎日店に来ていただけに、別れの時がやってくると寂しいものだった。春先の甘い風が漂う店内には、今でもウグイスの愛らしい歌声が残っているようで、僕はついもう聴こえないはずの旋律に耳を傾けてしまう。
ウグイスは無事に愛を告げられたのだろうか。もうこの店には来てくれないのだろうか。外は初めて会ったあの日のように雨が降っていて、つい昔を懐かしんでしまう。
そうして彼の存在を恋しがっていた僕は、来客を告げる戸の音に慌てて顔を引き締めた。
「あのう、店主さんは居ますか」
そう言いながら入店してきたのは、セーラー服に身を包んだ女の子だった。僕も何度か目にしたことがある、近所の女子校の制服だ。
「すみません、店主はただいま席を外しておりまして」
まさかクロが居ないときに来客があるとは。しかも、初のまともな客である。緊張しながら答えると、女の子は少しだけ残念そうな顔をした。
内気そうな女の子はセミロングの髪をもじもじといじって、なにか言いあぐねている様子に見える。できるだけ穏やかな声音でなにかありましたかと訊けば、彼女は躊躇いがちに口を開いた。
「ええと、以前この店で、オルゴールを買ったんですけど」
「オルゴール……ですか?」
「はい。……このオルゴールなんですけど」
女の子が鞄から取り出したものを見て、僕は危うく声をあげそうになる。
鳥籠を模した小さなオルゴールの中には、見慣れたウグイスの人形が飾られていたのだ。
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