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峠登りし少年
「[ときに、一冊の本が、人を駆り立て、狂わし、
一時に、人生の峡谷に突き落とすこともある。]」
そう、つぶやいた少年の唇は、
余韻を残すように、半開きのまんま
たたずんでいる。
この愛しい唇の持ち主である少年は、本来のエロスの覚醒よりも先に、
言葉に異常なフェティシズムを寄せていた。
そして、フェティはフェティを生む。
この私もまた、艶めかしき唇に、新しきフェティを、訴えかけている!
古本市の二人は目が合った。少年は本を脇に抱えながら、店主に歩いてくる。
「あの!、この本。買いたいです。」
少年のポケットから小銭の音が、
聞こえてくる。
「待った、お代はいらねぇ。」
朗読の口の動きより、一層配慮のない驚きを体が、
その仕草があらわれている。
「え!いいんですか!?」
「あぁ、だが読み終えたらまた顔を出せ、それが条件だ。」
「毎日でも来ます!ほんとにありがとうございます!」
「気にするな、その小銭でアイスでも買え、」
ペコペコと頭を下げながら、少年は大事に両手で胸に抱きかかえ、
歩幅を大きく伸ばし、早歩きで帰っていった。
夏の古本市は、古臭い、本の埃が焦げたような匂いがする。
私はこの匂いが好きだ。
わざわざ本の焼ける季節に、
古本市があることが好きだ。
私はこの匂いを嗅ぐために、
店を構えているに違いない。
店主はそんな今を、懐かしんでいる。
華氏451度にもならんばかりの、古本市の薫風は常に、新しき古を運んでくる。古本とは、昨日の風を今日も吹かしてくれる。そして、今日もその風は薫る。
風は店主の店に吹き、そして、
明日の少年にも吹くのだろう。
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