『親ガチャ』

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『親ガチャ』

親ガチャとはよく言ったものだ。 資本主義や民主主義は果たして正しいのだろうか? いや、俺は何を言っているんだ。 この世界が平等じゃないことには薄々感付いていたが、武力に対して金で戦争をする時代がくるとは思ってはいなかった。 結局世の中は金か暴力で構成されていることが分かった。 それが分かって抗っても意味がないことも分かっていた。 俺が一個人で国家レベルの金を持つことも、独裁者のように核兵器を持つことも不可能だ。 できないんだったら、この作られた平和の中で楽しく生きていけば良い。 そう、世の中が『平和』だったらね。 俺はこの世の中を楽しんでいた。 そう、俺の親ガチャはアタリだった。 父親も母親も一流大学を出て、外資の会社で職場結婚した。 俺は幼稚園から私立の付属校に入学した。 試験もあったような気がするが特に難しいとは思わなかった。 小学校からサッカーを始め、クラブチームのセレクションに合格して、地区選抜にも選ばれた。 中学もクラブチームでサッカーをやりながら、成績は常に学年上位だった。 塾には行かずに英語だけネイティブの講師が家庭教師で教えてくれた。 『勉強もサッカーもできてすごいね!』と言われていたが、意味がわからなかった。 別に特に頑張っているつもりはなかった、逆に『なんでできないんだ?』と疑問に思うくらいだった。 高校に上がる時にクラブからユースへの誘いを受けたが、サッカー選手で稼ぐならメッシやロナウドくらい稼がなきゃと思った、流石に自分の実力はわきまえていたので、それは無理なことはわかっていた。 高校では部活はやらずに勉強をすることにした。 付属の大学でも世間では十分一流だと言われるだろうが、どうせ勉強をするならもっと上の大学に行こうと思った。 父親が早めに社会をみておいた方が良いと言うので、父親の知り合いの会社のバイトをしながら勉強をしていた、その会社は日本人が1人もいなかったので、英語は大分上達したと思う。 この国で一番と言われている大学に合格、卒業し、父や母と同じように外資の会社に入社した。 高校時代の経験が役に立ったのか、入社して3ヶ月で本社に異動して1年間アメリカで過ごした。 日本に戻ってきた俺は同期よりも早く役職につき、年収はおそらく同期よりは倍ぐらいになっていたと思う。 ヘッドハンティングの話がよく来ていたが、どれも大した条件じゃなかった。 そんな時に、破格の条件を出した企業からヘッドハンティングの話が来た。 その企業、いや会社は確かに勢いがありこれから成長していきそうな気がした。 上司に正直に迷っていることを相談したら、引き止められ給料はさらに上がった。 それでも個人でロケットを打ち上げたりするような金は持っていない。 でも、金に困ることはないし、金で買えない物はほぼないと言ってもいいだろう。 ああ、有名画家の世界的絵画とか、プライベートジェットを持てるほどではないけど。 それで十分だ、女にも困っていない。 言い寄ってくる女はたくさんいた、中にはTVに少し出てるグラビアアイドルや芸能人も。 ただ、あいつらは見た目が良いだけで頭が空っぽだった。 俺と付き合う器じゃない。 いや、俺と結婚したとしたら子供がかわいそうだ。 両親がしてくれたように、俺も子供には親ガチャでアタリを引かせてやりたい。 まあ、ただヤルだけなら見た目が良い方がいいに決まっているから、ヤルことはやっているが、何かあっても金を払えば良いだろう。 少し金を持った馬鹿な芸能人みたいにトイレや安いホテルで事を済ませて小遣いを渡すようなことはしない。 あまりにも順調に人生が進んできて少し飽きてきた。 何か面白いことでも起きないだろうか。
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