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「おい」
先輩は、何かを見つけて呆れた声で後ろに呼びかけた。私も先輩の視線の先を追うと、後ろの扉の窓に、短い髪の毛がわずかにのぞいていた。絶対に中島だ。
トイレから戻ってきたならすぐに入ってくればいいのに、一体そんなところで何を隠れているのか。英語の勉強がそんなに嫌だったのか。
先輩に見つかって声をかけられた中島は、すくっと立ち上がるとガラガラといわせながら扉を開けた。
「図書室で会うだけとか言ってたのに、めっちゃ打ち解けてるじゃん」
「それは本当だよ」
トイレ休憩で息を吹き返したのか、中島はさっきまでよりずいぶん元気そうだ。反対に先輩は、生気を吸い取られたように一気に声がしぼんでいく。正反対な姿がちょっとおもしろくて、ついにんまりしてしまう。
「桜井笑ってる」
「あ、ごめん。つい」
中島に指摘されて、それでも堪えられなくて口元を下敷きで隠した。先輩もこちらを見ている。中島は席に座りながら先輩の手元から、自分の教科書を取り返した。
「別に笑ってもいいじゃん。桜井はもうちょっと笑ったほうが、明るく見えていいと思うけど。前髪だって、短いほうが似合うよ」
暗に陰気に見えると言われたようだけど、事実なので否定もできない。でも、先輩の前で言わなくてもいいのに。
「はい、休憩おしまい。続きからね」
何も言わない私の代わりに、先輩がパンと軽く手を打ちながら号令をかけた。隣で中島がブツブツと文句をたれている。私は中島の言葉に、また小さなトゲを刺されたような気がしていた。
休憩のあとしばらく勉強していると、窓の外がふと明るくなった。日が差して、重たく分厚かった灰色の雲がちぎれてまばらに散っている。かなり降ったので、校庭は雨でぐちゃぐちゃになっていた。できた水溜りも、ひとつひとつが大きい。
外の様子に気がついた中島が窓を開けて伸びをした。私もペンを置くと、首を回す。ずっと同じ姿勢だったから、首のあたりが重い。
「雨も止んでいい時間になってきたし、お開きにしようか」
先輩が腕時計を確認しながらそう言った。
「やったー」
「喜んでるけど、今回は光が勉強見てほしいって言うから開催したんだからな」
お開きになって素直に喜んでいる中島に、先輩が釘を刺す。中島は「そうだった」と言いながら、悪びれずに笑っている。私は自分の教科書をカバンに詰め込み、机を元の位置に戻した。
「先輩、ありがとうございました」
頭を下げると、先輩より先に中島から返事がくる。
「いいんだよ、カズ兄は学校のテストのために勉強なんてしてないんだし」
「なんで、光が先に答えるんだよ」
先輩は、中島の頭にチョップを入れた。中島は「いてっ」と言いながら頭をさすっている。
自分の片付けを終えた先輩が近づいてきて、私の背を押しながらクラスを出る。後ろを振り返ると、中島に「片付けよろしく」と言って扉を閉めてしまった。
「置いていって良いんですか」
「だめなの?」
そうきかれると、何と答えていいのかわからない。てっきり先輩と中島は一緒に帰るんだと思ってた。
「どうせこれから塾で行き先が違うんだし、いいでしょ」
先輩は本当に中島を置いてきたことを気にしてなさそうだ。
「本当に、今日はありがとうございます。先生よりもわかりやすかったです」
「気にしなくていいよ、誘ったのはこっちだし」
前を向いたまま先輩はそう答えた。人が少ない校舎を二人で静かに歩く。さっきほど緊張はしないけど、まだどこかで意識している私がいた。靴箱にも人はほとんどいない。みんな雨が降っていたから、早々に帰ったのかもしれない。
「光もいたけど、大丈夫だった?苦手だったでしょ」
去り際に先輩がきいてきた。そんなこと気にしてくれていたんだ。
「苦手でしたけど、ちょっと話したら色々勝手に想像してたなと反省しました。結構いいやつですね」
「大丈夫ならよかった。それじゃ、また明日図書室でね」
先輩はちょっとだけほほえんで、自分の学年の靴箱に消えていった。
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