②部下のひとこと。

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②部下のひとこと。

 高竹快斗(たかだけ かいと)  年齢28歳。独身。  別部署から異動してきて一年目。私の部下である。  勝俣式で有能か無能か聞かれると、彼はどちらに当てはまるのか、勝俣自身も分からない。なぜなら彼は床真のように言った通りに仕事が出来るわけではないが、崎本のように先んじて仕事が出来る場合もあるのだ。  みんな違ってみんな良い。違う人間なのだ、個性豊かなのは結構。それらを統括するのが課長である私の役目だ。  しかしながら高竹にどうやって仕事を教えたらいいのか正直分からない。  今回の赤ペン問題もすでに以前行われており、しかしその際に向こうは納得した様子だった。彼の言うように全てに赤ペンを入れたら『これはこれで直すのが面倒ですね』ということになったのだ。  納得した彼はその後、資料作りや月ごとのチラシまで、一年目にしてそれらを作りこなす優秀さを見せた。  多少常識と異なる質問等があり手を焼いたが、分からないことを分からないと言えるのは必要なスキルのひとつ。そこを問題視する必要はない。  だがその質問を二、三度繰り返すのは褒められたことではない。メモをするなり、何か自分が覚えられるように工夫していくことが大切だ。  しかし高竹の困ったところはそこではない。いや、そこなのだがそうではないのだ。 ────覚えてますよ。俺だって前にも言ったでしょう。  彼は聞いた事は覚えている。だからこそ厄介極まりない。同じ質問ではなく、少し違う角度からピッチャー高竹はボールを投げてくるからだ。 「高竹さん、前に私がすべて赤ペンを入れたらそれはそれで面倒だと仰いましたね」 「ええ、言いました」  「それから問題なく資料を作っていました。高竹さんなりに良い塩梅を見つけたのでは?」 「いえ、あれから別に気になる文面とか無かったんで」  なんてことないように返され、勝俣は眼鏡を押し上げながら「なるほど」と頷く。 「でも今回のこれは文面がおかしくなるので聞いたんです。ついでに今後のために意見を一致させとこうって」 「・・・・・・そうですね」  そう、そういうところは正しい。別に全て間違っているわけではない。 「俺は赤ペンをもう入れないに一票」 「ん? 投票式ですか?」  眼鏡を持ち上げる。ここまで話を膨らませるならば会議を用いて他の社員からも話を聞くべきだろう。しかし高竹は思い出したかのようにそれを止めた。 「あぁ、これは俺と課長の投票制なんで。周りは巻き込まないでくださいね」 「なに?」 「ほら、課長はどうするんですか? 赤ペンを入れないに票を入れたらもう問題は解決するんですけど」 「それは・・・・・・」  先程まで仕事を押しつけられると思っていたのが、いつの間にか赤ペンを入れない、ようするに逆に仕事を奪われようとしている。 (それは良い結果に繋がるわけではないっ!)  ここにいる全員がそれに票を入れるのであれば考えるが、あくまでこれは高竹ひとりの意見。それに臆していては課長の役など務まるものか。 「いえ」  勝俣は一歩彼へ踏み込んだ。 「赤ペンは今後も入れさせてもらいます。部下のミスを見逃すわけにもいきませんから」 「ですので」と続けて眼鏡を上げる。 「もし文面が合わない場合、高竹さんの意思で変更をお願いします。しかし全てを託すわけではありません。もしその変更に不安や疑問、またはどのように変更したら良いのか分からない場合、また私に聞いてください・・・・・・それが私の一票です」  よく〝清き一票〟という言葉を耳にする。自分の票がその清き一票に値すのか分からない。だがその一票は決して無駄ではない。 (そう私は思う、いや、信じている) 「あ、じゃあそれでいいですよ」 「えっ」  こちらの一票に分かったと高竹は首を縦に振れば、前を向き直して赤ペンの入った資料を捲った。もうこちらは用済みだとでも言うように。いや実際もう問題は解決したのだろう。 「それはその、私の一票に高竹さんも票を入れたという認識で大丈夫ですか?」 「えぇ、そういうことですね」  拍子抜けとはこういうことだろうか。  もうこちらに目もくれずに仕事へ戻っている。その手を止めさせてまでこれ以上追求する必要はない。  勝俣は先程つけなかった溜息を小さくつき、「では修正をお願いします」と一言頼んでから高竹の斜め前のデスク、誕生日席のようなそこへ腰を下ろした。 (なんだろう、すごく疲れてしまった)  自分は一体なにをしていたんだったか。  床真に資料の訂正をお願いしたことも思い出せず、勝俣は溜息とは別の息を吐き出した。  その向こうでまた笑い声が聞こえた気がするが、それを確認する体力も残っていない。 (珈琲でも飲むか)  この部署から出た先の給湯室にある自動販売機は勝俣御用達だ。百円で買えるそれは路地にあるものよりも安い。きっと会社で契約していることと関係しているのだろう。  勝俣はポケットに小銭入れが入っていることを確認し、立ち上がろうとすれば再び声が掛かった。 「課長」 「・・・・・・高竹さん」  また自席から呼ぶ高竹に注意をしようとすれば、先に違う違うと軽く手を振られた。 「仕事の話じゃないんで」 「仕事の話じゃない?」  勝俣は眉間にシワを寄せる。 「勤務時間中は出来るだけ私語は慎んでください」 「いま課長、珈琲買いに行こうとしてたじゃないですか。その時くらい、いいでしょ別に」 「・・・・・・・・・・・・」  確かに手洗いに行く時まで無言を貫けとまでは言わない。そこまで厳しくしてしまえば、一服珈琲を飲む時間すらも勤務中は取るな、に繋がりかねない。  休憩も挟まず良い結果を出せだなんて、それは無理な話だ。  いや、まずどうして珈琲を買いに行くことがバレてしまっていたのか。そこに疑問を抱いたがそこまで追求しては休憩時間が長くなりすぎてしまう。  勝俣はそこは気にしない方向にした。 「手短にお願いします」 「はい」  高竹は頷き、続けた。 「課長って、恋人います?」 「・・・・・・は?」  元々何の話をするのか全く検討がつかなかったが、まさか、いや、どうしてそんな質問をされているのだろう。  頭が真っ白になるなんて感覚は、昔高校の試験を受けていた時に消しゴムを落としてしまったとき以来だ。しかしその時はすぐに手を挙げ教師に申し出れば良いのだと思い出し、事なきを得た。だが今回のこれは、我に返るまでしばらく時間が掛かった。  周りも聞き耳立てるようにシンとしていたが、勝俣はそこまで気にする余裕はない。 「それはどういうことですか?」 「どういうって・・・・・・ただ恋人がいるかどうか聞いただけですよ」 「聞く理由は?」 「世間話?」  彼自身もクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げ、だがすぐに「なんか課長って」と小さく笑った。 「孤独死しそうなタイプですよね」 「・・・・・・え?」  なにがどうしてなぜこうなった。  崎本の隣の絹谷が盛大に噴き出したことも気付かないほど、勝俣は混乱した。
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