①私が課長である。

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①私が課長である。

 勝俣忠則(かつまた ただのり)  年齢35歳。独身。  現職、課長。 「床真(ゆかま)さん」 「は、はい課長!」 「次のプレゼンの資料ですが、いくつか修正がありますので再度提出お願いします」  ガタンと大きな音を立てて立った床真に、赤ペンを入れたそれを渡す。  デジタル化を求められる現在、データ等をメールやチャットでやり取りをすることが多い。たが勝俣はそれをわざわざ印刷し、赤ペン先生の如く修正を入れるのが勝俣式であった────それは決して勝俣が付けた名前ではない。 「出た、赤ペン先生勝俣式」  床真のデスク斜め前に座る女性社員二名がコソコソと笑いながら話す。きっと彼女たちはこちらに聞こえないよう配慮しているのだろう。実際、最初に言っていた言葉以外、何を話しているかは聞き取れない。しかし最初に聞こえたソレだけで十分だ。 「崎本(さきもと)さん」 「はいっ」  崎本は肩をびくりと震わせ、慌てた様子で立ち上がる。一緒に話していたもう一人、絹谷(きぬや)は自分は何も知りませんとばかりにデスクのパソコンにそそくさと向き直った。まったく。仲良く話していたというのに、自分は害がないよう逃げるとは、卑怯者がすることだと勝俣は眼鏡の中心を中指で押し上げた。 「明日のクライアントへの資料はまとまりましたか?」 「はい。部数も確認し、お弁当も手配済みです」 「会議室とプロジェクターは?」 「押さえてます」 「そうですか。明日はよろしくお願いしますね」 「はい」  小さく頭を下げた崎本は着席次第、隣の卑怯者を肘で突く。その様子はこちらからバレバレだというのに。だが仕事は出来ているのだ。こちらから口出しはしない。  視線を外せば、また床真が視界に入る。どうやら崎本と話している間も立っていたらしい。 「どうされましたか?」 「いえ、いや、あの」  パチパチと瞬きをする彼に、ああそうかと勝俣は眼鏡を再び上げた。 「修正の作業に入ってください。出来たデータはまた私へ送るように。他に仕事があるのでしたら、優先順位はそちらで構いません」 「分かりましたっ」 「ではお願いします」 「はい!」  立った時と同様ガタン! と大きな音を立てて座り、渡した資料を読み始める。どこに修正があるのか探すだけで良いのではと思わなくもないが、そこまで指導するつもりはない。仕事に支障が出たら指摘する。その方が彼にとっても理解しやすいだろう。  先んじて仕事が出来る崎本とは逆に、仕事内容をひとつひとつ指示する必要が床真にはある。  有能かどうか。部下の間で言われている勝俣式うんぬんから言わせれば床真は有能ではない。だが無能でもない。なぜなら指示をすれば仕事をやるからだ。 (そもそも、私の部下が無能なわけがない)  確かに自ら仕事を手に入れろ、言われる前に全てをこなせ、それらが当たり前に謳われていた時代ならば無能な連中はありとあらゆるところにいる。しかし、だ。そんなものは工程であって結果に繋がるとは限らない。  野球に例えれば、ヒット数が多くても点にならなければ、ホームラン一発で負けるゲームと同じである。過程よりも結果が大切だ。  そのゲームを左右させるのは選手。いやいや指示を出す監督。されど点を相手にやらぬように守る最大の指揮者はキャッチャーだ。 (いうなれば私はここの指揮をするキャッチャー)  他者、否、他社に打たせぬようにピッチャー部下らに細やかな指示をする。  彼らの癖も体調も管理し投球させ、零点で抑えればこちらの勝利。なんとも分かりやすいゲームであろう。  キャッチャー課長としてここに立つ以上、ピッチャー部下を上手く使いこなしてみせる。 (それこそが真の勝俣式だ) 「課長」  無意識に眼鏡を上げていたようで、自身の掌が視界に映った。  聞こえた声とその方角。課長である私のデスク近くからのそれに、頬がひくりと動きそうなのを抑えながら振り向いた。 「高竹(たかだけ)さん、用がある時は私のところまで来て言うようにと伝えた筈ですが」 「すみません。さっき崎本さんのこと、そこから呼んでたんでもういいのかなーって」 「・・・・・・・・・・・・」  彼の言う事は正しい。しかし釈然としない。だが高竹の言う通りである。 「崎本さん」  先程話した彼女のデスクへ移動すれば、肩を震わせている絹谷と、「えっ、いえっ!別に!」と顔の前で手を振っている崎本がいる。一手早く仕事が出来るというのは、その先を見ているということ。こちらが次にどのようなことをするか知っているが故に慌てているのだろう。  しかしここはこちらに非がある。頭を下げるのも当然だ。 「先程は失礼しました」 「課長! そんな高竹さんの言葉を気にする必要ありませんから!」 「いえ、高竹さんの言った通りですので」 「あっはっは!」 「ちょっ、絹さん! そんな笑ってないでよ!」  笑う絹谷の肩を叩く崎本。困った様子に反してどこかボーっとしている高竹の顔がある。  色が白い顔にサッパリと切ってある黒い髪の毛。細目に見えるそれは眠いからそういう顔なのか、それとも元々瞼がそこまで落ちているからなのか。分からないけれど──── 「あの、用事済んだらこっちいいですか?」 「・・・・・・・・・・・・」 ────なんとなく腹が立つ。 (いや、落ち着け私)  勝俣は心の中で首を横に振り、安易に感情を出さぬよう気持ちを落ち着けさせる。  高竹の言っていたことは正しかったのだ。それに、謝り終わったのならば呼ばれた彼の元へ行くのは当然のこと。言い方はあれかもしれないが、怒るべきことではない。  周りにバレぬよう、ゆっくり深呼吸をして「どうされましたか高竹さん」と彼のデスクの前に立った。 「これなんですけど」  指を差したのは各々会社用に支給されているノートパソコンの画面だ。一体どうしたのかと覗き込めば、昨日返したプレゼンの資料だと分かる。 「ここの文面、課長の言うように直したら、次の文が合わなくなるんですよね」 「はい」  高竹の言葉に勝俣は頷く。確かに赤ペンを入れたが故に他の文と噛み合わなくなるところが出てくることもあるだろう。『〜でした』という文末が重なってしまうなど。しかしそこはそれぞれの塩梅だ。実際プレゼンを行うのも彼らなのだから、説明しやすいよう微調整は彼ら自身で行うべきだと思っている。だが高竹は言った。 「どうするんですか? ここ、赤ペン入っていませんけど?」 「それは・・・・・・前にも説明したかと思うんですけれども」  平常心を忘れるべからず。常に初心に返り、目の前の相手と向き合え。  母が小学校、父が高校の教師。そんな両親に幼い頃から言われていた言葉だ。  どんな相手であっても自分とは別の生き物。同じ意見を持つ方が奇跡なのだと。当たり前のことでも忘れがちなそれを勝俣は冷静に心に刻む。 「覚えてますよ。俺だって前にも言ったでしょう」  溜息をつく高竹に、こちらがつきたい溜息がキュッと喉で止まった。 「赤ペン入れるなら全部入れといてくれないと、どうしていいか分からなくなりますって」 「全部入れたらそれは修正が大変かつ私が作った資料になってしまいますと説明しました」 「元は俺が作ってるんですから、俺が作ったことは変わりませんけど?」 「それはそうですが、プレゼンをするのは高竹さんです。私が語尾や文末まで決めるとやりづらいのでは?」 「そんなことないです」  コンコンとノートパソコンの画面を指を折った関節で叩く。 「勝俣式、あぁじゃなくて課長の作ったやつの方が断然良いし、分かりやすいので」 「・・・・・・ありがとうございます」  ささくれだっていた気持ちが凪ぐのが分かる。人間とはいかに単純な生き物なのかを実感するけれど、ここで流されてはいけない。これは彼から仕事を押し付けられそうになっているのだ。 (いかん! 課長は私・・・・・・司令塔は私だ!)  有能無能、それらで彼のことを括ることは出来ない。言うなれば彼は、 (流されてたまるか!)  問題児なのだ。
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