さみしさは酒でうめられない

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 左手をだらりとおろすと、鏡らしきものがゴトリと床に落ちた音がした。  俺は考えたくなかったことを、考えることにした。  そもそも、俺には同期、兼セフレがいた。  月曜日、そのセフレだった男が都心の一等地ど真ん中にある銀行本店に戻ってくる。たまたま耳にしてしまった自分。めずらしく残業もせずに、動揺も隠せないまま安い居酒屋に駆け込んだ。レバテキ五九〇円に対して、ハイボール二五円という破格の値段につられたわけじゃない。  いや、まて、その前にふたりのパーソナリティともいえるキャラ分析からはじめよう。  俺は地味で、黒髪だ。目つきもすこしわるい。もさっとしている男だ。名前は多田村 正(ただむら ただし)。あだ名は『ただっち』。おごられたことは一人しかおらず、大抵は割り勘だ。メガバンク本店の総務部に身を置いて、そこそこに働く。バースはベータ。隣にいた後輩の香ちゃんすら、陰で自分をカオナシと呼んでいるのを知って、やっぱりそうかなと思うぐらい存在感がうすい。でも、それでいい。目立つことなんて苦手だし、仕事もバリバリとこなすこともなく、趣味だって読書というなんともふつうなところが自分らしくて気に入っていた。そんな可もなく不可もない生活を送っている。  それに対して、対極ともいえる存在がいた。  木村 貴宏(きむら たかひろ)。男。バースはアルファ。祖父はキムラヤというファッションビルの商業施設を展開する木村グループの創立者だ。父は現社長。兄が跡を継いで、長女は海外でモデルをしているらしい。で、次男の貴宏は銀行本店に入行を決めたようだ。  旧帝国大学卒業、背が高く眉目秀麗。穏やかな性格に、柔らかな栗毛。馬で例えるとルドルフだ。競馬史上最強の馬であるルドルフだと思う。たまにディープの名を出してくるやつもいるが、神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられたともいえる最強馬には誰も勝てない。そんな存在感のある男だ。  とにかく、オメガやベータ、アルファというバースの垣根をぶっ壊し、男女ともに大人気だった。上司からも気に入られ、仕事でも率先力で活躍する期待のホープだった。  ちなみに、ここはオメガバースというなんとも複雑なベールに包まれている。性別が男と女。そのほかにバースが三つに分化される。アルファが二割、ベータが八割、オメガは残りひと握りと希少な存在だ。  さらに詳しく説明させていただくと、アルファの二割がどのくらいか?ということだ。年収三千万以上稼ぐひとは0.3%未満。旧帝国大学である東大が全国に十五万人。それは人口比0.15%。そのうちの富裕層は百五十万人。人口比、1.15%とされている。つまり、そのぐらいおみかけできない。最近では数少ないオメガですら、ベータよりも優秀なやつがいる。  だから、俺たちは目立たない。仕事はほどほどにこなし、陰でカミキリムシのようにオメガバースというやつらの物語を支える。カブトムシのようなアルファ、クワガタムシのようなオメガ、いつだってそのふたりにあまい蜜を与える存在でしかない。  そんなやつが、どうしてベータの俺と親密な関係にまで進展したかというと、答えは簡単だ。同期だからだ。  天と地ぐらいちがう格差があっても、同期というだけで、いとも簡単に顔を合わせることができる。内定からたびたび行われた同期会と名づけられた飲み会で、俺は親しみを抱いた。完璧な美貌に酒がすすみ、焼酎割り五杯はつまみなしで呑める。呑みながら、一方的にパーフェクトな美形に片想いという不毛なものを五年もこじらせてしまっていた。
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