魔女狩り

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 春の訪れを祝うカーニバルで商売のテントを張るべく、旅芸人(ロマ)の一座はにぎやかな港町を目指していた。  道中(どうちゅう)、けわしい峠道(とうげみち)に出くわしたので、体力のない女占術師と娘のフロールだけ山越えルートを回避するため、仲間の一行(いっこう)といったん別れて、1頭だての小さな馬車で(ふもと)迂回(うかい)することにしたのだ。  くだんの村を通りかかったとき、小さな子供たちが物珍しがって馬車のまわりに集まってきた。  女占術師が(とが)めるのも聞かず、手に手に路傍(ろぼう)に生えた雑草をつんでは、人懐(ひとなつ)っこい若馬の鼻面(はなづら)に近付けた。  馬は鋭敏(えいびん)でかしこい。通常なら自分にとって有害な毒草をすぐにかぎつける。絶対に口などつけない。  だが、おのれの鋭敏さ以上に人間を全面的に信頼してくれる愛すべき健気(けなげ)な生き物で。  子供たちが無邪気(むじゃき)な笑顔で運んでくれたギシギシの葉を無頓着(むとんちゃく)にほおばってムシャムシャと()むうちに、かわいそうな栗毛(くりげ)の馬はフラフラと昏倒(こんとう)するや、泡をふきながら息絶(いきた)えてしまった。  ギシギシというありふれた野草が馬にとっては致命的な猛毒(もうどく)だということは、現代でもよく知られる。  さいわい村の(おさ)は良識的な紳士だったから、旅芸人(ロマ)の母娘に深く謝罪(しゃざい)をし、村で一番毛並みがよくイキのいい葦毛(あしげ)の馬を(ゆず)ると約束してくれたうえに、 「今日はもう日も暮れることですから、お()びも兼ねて、ぜひとも今宵(こよい)は我が家で歓待(かんたい)をさせてください」  と、豪奢(ごうしゃ)な屋敷に母娘を招待し、心尽(こころづ)くしの素晴らしいゴチソウをふるまった。  清潔な湯を惜しみなくたっぷり満たした風呂につかってから、女占術師と娘のフロールは、それぞれ別々の客室に案内されると、フカフカの広いベッドで眠りについた。  深夜、村長は、女占術師のベッドに忍び込んだ。  彼女の夫が数年前に旅の途上(とじょう)流行病(はやりやまい)にかかって先立ったという身の上話をすでに聞きだしていた。だから、これは不貞には当たるまい。赤みがかった華やかな金髪にエキゾチックな黒い瞳、子持ちとは信じがたい艶美(えんび)な小麦色の肢体(したい)をそのまま枯らすのは忍びない……と、かき口説いたものだ。  だが、死にもの狂いの抵抗にであい、肉付きのいい白い頬にハデな引っかき傷をこしらえたあげく、半裸(はんら)で廊下に逃げ返る結果となった。  翌朝、旅芸人(ロマ)の母娘は、屈強(くっきょう)な屋敷の用心棒どもに寄ってたかって手足と髪を引きずられながら、村はずれの家畜小屋(かちくごや)に閉じ込められたのだった。  その正午には、くだんの若い異端審問官(いたんしんもんかん)が村を訪れると、清らかな黒衣のソデがパンパンにふくらんで()べたを這うほど垂れ下がりそうな多額の浄財(じょうざい)を村長から受け取るや、おごそかに胸に十字を切りながら、家畜小屋(かちくごや)の木戸をくぐった。  美しい女占術師は次の夕方、広場の真ん中で、大勢の村人たちの好奇(こうき)のまなざしと下卑(げび)罵声(ばせい)を浴びながら火あぶりにされた。  とはいえ、杉の木でこしらえた十字架に血まみれの裸体を荒縄(あらなわ)でくくられ(はりつけ)にされたときには、すでに白目をむいて意識は()せていた。  非道(ひどう)拷問(ごうもん)以上の苦痛を味わわなかったことだけが彼女にとって唯一の幸運だった。  いかんせん、村長はもちろん、平穏で刺激(しげき)のない暮らしに慣れた村人たちにとっても、これは文字どおり"不完全燃焼"だった。  もっと強烈(きょうれつ)なカタルシスがほしい……そう熱望する善良な信徒(しんと)たちの祈りに答えるべく、"神の炎"は、母の死に泣きくずれる哀れな娘に粛清(しゅくせい)の的を移した。
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