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「今回の場合、争点となるのは被疑者に傷害の故意があったかどうかです。相手を傷つけてやろうという明確な意思に限らず、相手が怪我をするかもしれないと理解し、そうした結果が訪れてもかまわないと認めた上で起こした行為であっても、故意は認定される」
「『未必の故意』ですね」
夏輝が合いの手を入れてきた。「えぇ」と紳はうなずいて返す。
「学会の通説、過去の判例の双方で、未必の故意は認められるとする見解が一致しています。つまり、今回の被疑者である良知さんが、自身の行為によって被害者が怪我をしてもかまわないと思っていたことが立証できれば、彼を傷害罪で起訴できるわけです」
「理屈はわかります。でも、それを立証するのってかなり難しくないですか? 良知さんは絶対に認めないだろうし、それこそ、目撃者の証言だけでは足りないと思いますけど」
「ですが、予見可能性は十分にありました」
紳は夏輝の疑義を平然と跳ね返す。
「良知さんの証言によれば、彼は被害者が泥酔状態だったことを事件発生前から認識していました。相手は千鳥足だったとも発言していますし、少し力を入れて相手のからだを押せばバランスを崩して転ぶのではないかと予見することは十分可能です。そして二人は当時、縁石の設置された歩道にいた」
「あぁ、なるほどね」
夏輝が納得した風にうなずいた。
「足がもつれて倒れたはずみで被害者が頭を打つかもしれないと予想できるシチュエーションだ。さらに良知さんは、被害者に執拗に絡まれたと発言している。被害者を突き飛ばす直前、激しい口論になっていた可能性はありますし、ついカッとなって、みたいなパターンは考えられそうですよね」
「はい。問題はまさにそこです」
約束の五分間を過ぎていたが、紳はかまわず議論を続けた。
「事件発生直前、当事者の二人が互いにヒートアップしていたことは疑いようがないでしょう。ですが、どのような形でもめていたのかという点について、双方の主張は完全に食い違っています。被害者は良知さんが一方的に暴行を加えてきた、肩をぶつけられ、謝れと言ったら逆上されたと言っている。一方で良知さんは、被害者が先に因縁をつけてきたと主張。どちらかが確実に嘘をついていることは明白ですが、事件当時、被害者は泥酔状態だった」
「証言の信憑性は低い、か」
正直なところ、と紳は夏輝の発言に控えめに同意した。
「良知さんがまったく嘘をついていないとは思いませんが、事件当時の記憶がより曖昧なのは被害者のほうと言って間違いないでしょう。さらに被害者は頭を打って意識を失い、気がついたら右腕の骨まで折れていた。被害者は相手を強く恨んだはずです。なぜ自分がこんな目に、誰の仕業だ……そうやって少しずつ良知さんへの憎しみが募っていき、事件当時の記憶が無意識のうちに歪められてしまったとしたら、どうでしょうか。当然、証言の内容にも歪みが生じますよね」
「待ってください。じゃあ被害者は、良知さんが一方的に暴行を加えてきたと思い込んでるってことですか?」
「一つの可能性の話です。もしくは、被害者は良知さんへの恨みからわざと嘘の証言をしているとも考えられます。相手が一方的に暴力を振るってきたと主張して、我々検察の人間や裁判官の心証を操作し、裁判で良知さんにより重い刑罰が下るよう仕向けた」
「そんなことって……。でも、まったくないとは言えない仮説ですね。目撃者も一人だけでしたし、強く主張すれば……」
そこまで言って、夏輝は「あ」と顔を上げた。
「そうか、それで藪下さんに……!」
紳は無言でうなずいた。
「当事者二人の他に、事件の詳細を語れるのは目撃者の藪下という男性だけです。だから僕は彼に会いたい。その時本当はなにが起きていたのか、事件の真実を知るために」
真実を知らなければ、正しい量刑は決められない。刑罰とは、その先に待つ更生の道へとつながらなければなんの意味も為さない枷だ。
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