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「だけど」  夏輝が自信なさそうにつぶやいた。 「藪下さんって、事件の一部始終を目撃していたわけじゃないですよね? 彼が見たのは、良知さんが被害者を突き飛ばしたところから先のできごとだって資料には書いてありました」 「おっしゃるとおり。ですが、もっとも重要なのはその部分だと僕は考えています」 「その部分、っていうと?」 「良知さんが被害者を突き飛ばしたと思われる瞬間のことです」 「突き飛ばした?」  あえてぼかすような言い方をしたが、夏輝はしっかりと食いついてくる。やはり勘のいい人だと紳は少し嬉しくなり、次第に饒舌(じょうぜつ)になっていった。 「藪下さんの目撃証言を百パーセント信用するなら、良知さんは被害者を突き飛ばし、救護もせず現場から逃走した、というのが真実です。藪下さんは当時お酒を飲んでいなかったとのことですから、警察が彼の証言を鵜呑みにしたことも納得できます」 「鵜呑みにしたって……」  夏輝が顔色を変えた。 「まさか、藪下さんが嘘を?」 「いえ、それはあり得ません。ただ、嘘ではなく、誤った認識をしている可能性があると僕は疑っています」 「誤った認識?」 「はい。藪下さんはごく普通のサラリーマンだそうですから、人が頭から血を流して倒れている場面に慣れているはずもない。そんなところに遭遇すれば一気に心拍数は跳ね上がり、冷静さを保てていたかどうかも怪しいラインだったと思われます。なおかつ彼は、現場から逃げ去る良知さんの姿をも目撃し、被害者に応急手当を施してもいる。そうこうしているうちに警察がやってきて、『なにがあったんですか』と彼に問う。彼は答えました……男が被害者を突き飛ばして逃げた、と。この時点で藪下さんは『良知さん(イコール)加害者』と認識していますから、当然、良知さんが事件の犯人だという口ぶりになったはずです。警察はそれを信用し、逃げた良知さんの行方を追った。傷害事件の犯人として、彼を逮捕するために」 「待ってください、冬野さん」  夏輝が悩ましい顔をして口を挟んだ。 「なにがおっしゃりたいのかイマイチわかりません。今の話じゃ、やっぱり藪下さんの証言に矛盾はないと思うんですけど」 「確かに、矛盾点はありません。ですが、藪下さんが良知さんのことを事件の犯人だと思い込んでいた可能性はあると思いませんか?」
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