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 嬉しそうな微笑みを(たた)えて腕時計に目を落とす夏輝の横顔を紳は見つめる。  きれいな目をした青年だと思った。正しいものだけを映し、嫌なことを無条件で忘れさせてくれるような、星の瞬く満天の夜空にも似た漆黒の瞳。  思い出せない。これほど美しい目をしていれば強く印象に残りそうなものだが、見覚えがあると思ったのも気のせいだったのだろうか。  だが、あの右手の甲の傷。間違いなくどこかで目にしている。自分から尋ねてしまえばいいものを、思い出せないことが悔しい紳は半ば意地になり、なんとしてでも自力で思い出そうと躍起になり始めていた。 「なにもしないで待つと長いですよね、五分って」  眉間にくっきりとしわを刻んで記憶の海を泳いでいたら、夏輝がからっと明るい表情を浮かべて肩をすくめ、本音を漏らした。退屈そうに、両手をスラックスのポケットに突っ込んでいる。 「でも、良知さんにとっては一瞬なんだろうなぁ。おもしろいですよね、こういうの。同じ五分でも、立場が違うと長さの感じ方が変わるって」 「立場が、違う……」  夏輝の言葉が引き金になり、中断されていた紳の思考に再びエンジンがかかった。  良知は、被疑者。すなわち、加害者だ。彼が被害者を突き飛ばして怪我をさせ、現場から逃げ去った。そしてその場面を目撃した人物がいる。目撃者は逃げた良知に代わって被害者に応急手当を施し、一一九番通報をした。  被害者は頭を強く打ち、救急隊が現場に到着した時には意識がなかった。のちに駆けつけた警察官に事件の経緯を詳しく話して聞かせたのは、通報者である目撃者の男性だけだった――。 「……認知バイアスか」 「え? なんですか?」  紳の小さなひとりごとを、夏輝は耳敏(ざと)く拾って訊き返した。紳は答えを口にせず、夏輝をまっすぐに見て言った。 「早急にアポを取っていただきたい方がいるのですが、お願いできますか」  夏輝は突然投げつけられた仕事に戸惑いながら両眉を跳ね上げ、紳に尋ねた。 「誰です? 被害者ですか?」  いや、と夏輝は自身の発言を自ら否定した。 「もしかして、目撃者の方ですか? 確か名前は……藪下(やぶした)さん」  えぇ、と紳はうなずいた。勘の良さもさることながら、資料で見ただけの目撃者の名前まで夏輝はきちんと把握していて、さすが、と素直に思わされる。まだ出会って数時間だが、彼には感心させられてばかりだ。ヘタな大卒事務官よりもずっと使える。 「でも、どうして藪下さんに?」  夏輝がいだいた疑問を口にした。 「資料を見る限り、彼の証言内容に不審な点はなかったようですけど」 「本当にそうでしょうか」  重宝される人材ならばと、紳は夏輝の思考力を少し試してみたくなって、いつもなら絶対にしない事務官との議論を展開させ始めた。
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