7人が本棚に入れています
本棚に追加
何時になく|狼狽える僕に対し、狭霧主任は再びその口を開く。
「私、バカだし無神経だから、人と雑談してても、すぐに相手の気に障るようなことを口走っちゃうの。
相手を傷付けないように、気分を損ねないように、関係を悪くしないようにって思って自分の言葉に気をつけていたとしても、気が緩んだところでポロッと相手の気持ちを損ねるようなことを言っちゃうの。
だから、人と一緒にいる時は、いつも自分自身を警戒しなきゃいけなかった。
いつも自分自身を見張っていなきゃいけなかった。
変なことを言っちゃうことがないかとか、或いは変なことを考えちゃったりしないか、とか」
つい今しがた、まさしくその状況に直面した僕にとって、狭霧主任のその言葉は実に腑に落ちるような思いだった。
つい今だって、外界に対する僕の接し方を「器用」の一言で片付けた狭霧主任に対して、正直ムカ付いていたから。
中途半端に理解し、それを中途半端に表現されるのって不愉快でならなかった。
僕は二、三度大きく頷き、そして次なる言葉を促す。狭霧主任は急き立てられたかのような口調で言葉を続ける。
「だから、私はもう、他の人と雑談なんかするのは止めようって思ったの。
他の人との関係が悪くなっちゃうとか、空気が変になるのとかって嫌だったから。
でも……。
でも、そうしてたら、結局は自分の周りに近付いてくる人って居なくなっちゃうのよね。
自分の気持ちがどんどん世界から切り離されちゃうって感じ」
僕は大きく頷く。
僕にとっても他人との関係は重荷に思えてしまうから。
だから、僕は表層的な関係性に逃げ込んでしまっている。
でも、狭霧主任はきっと強いから、人を遠ざけてしまっても何とかなっているんだろう。
そう思った。
狭霧主任の話は続く。
「さっきの相模くんの質問なんだけど、私って職場のみんなとおしゃべりなんてしないでしょ。
だから、部長から『もっと部下の人達とコミュニケーションを取るように』って言われちゃって……。
とは言っても、無理しておしゃべりしてみたところで、変な感じになることは分かりきっている。
だから、みんなに『あだ名』を付けることで誤魔化してるの。
職場のみんなを『あだ名』で呼んでいたら、内実はともかく、傍目は仲良くしてるように見えるでしょ?」
『あだ名』の理由に僕は納得した。
狭霧主任は言葉を続ける。
「だから…、まぁ…、なるべく相手を傷付けないように、そしてみんなの『あだ名』の温度感が一緒になるような感じで『あだ名』を付けているの。
正直、こんなの嫌なんだけど、でも私が無理して話し掛けて、そして変な空気になるよりも、まだマシだと思ってるの」
僕は心底から狭霧主任に同情し、そして言葉を発する。
「そうだったんですね。
てっきり人との距離を取ろうとして、あんなあだ名を付けてるのかと思ってましたよ。
むしろ理解してなくって申し訳なかったって感じです」
僕の言葉を聞いた狭霧主任は、何故かバタリとテーブルの上に突っ伏した。
「あ…、あの……」と、狼狽して語り掛ける僕に対し、狭霧主任は机に突っ伏したまま、呻くような弱々しい声で答える。
「相模くん、今までごめんね~。
私のこと、愛想の無い嫌な女だと思ってたでしょ?
まぁ変な女なんだけどさ……」
僕は慌ててそんな狭霧主任をフォローする。
「いや、嫌な女だなんてことないですよ。
嫌だったり興味が無かったりしたら、お昼休みにこうして話し掛けたりしてないですよ」
僕のその言葉が終わらぬうちに、狭霧主任は突っ伏したまま質問を発した。
その声色は、狼狽えを含んでいるかのようもに思えてしまった。
「え?!相模くん、あたしに興味あるの?
相模くんってアホなの?」
うわぁ、この人って、もしかして面倒くさい人なのかなと思いつつも、僕はその問いに答える。あくまで軽い調子を装いながら。
「それはもう、興味ありまくりですよ。
こんな変な人なのに、メッチャ強い人なんですから」
僕の言葉を耳にした狭霧主任はムクッとその頭を上げる。
その顔に何やら不満そうな表情を湛えながら。
そして、ムッとしたような調子で言葉を吐き出す。
「あのねぇ…、私は別に『強い』んじゃないの。
『強い』ような感じで振る舞わなきゃやってらんないから、そうしてるだけなの。
もう、相模くん、ムカつく!」
僕もムッとした調子で言葉を返す。
「僕だってですね、別に『器用』なんかじゃないですよ。
『器用』な感じで振る舞わなきゃダメだったんですよ。
そう見えてるだけなんですって。」
狭霧主任はシュンとしたような表情となり、そしてこう言葉を返す。
「そうだよね、ゴメンなさい。あぁ、あたしってバカだ…。
こんなふうにおしゃべりすると、私って空気読めないとかバカだったりするのがバレちゃうのよ。
あ~、もうっ!」
しょげ返ったような狭霧主任のその態度に、僕の心の中にて燻っていたムカ付くような思いは穴の空いた風船がしぼんでいくかのようにして消え失せてしまった。
僕は狭霧主任に語り掛ける。
「強いんじゃなくって、強く見せようとしているだけなんですね。」
狭霧主任も僕に語り掛ける。
僕と同じような口調で。
「器用じゃなくって、器用に見せようとしているだけなんだね。」
そして、どちらからとも無く、プッと吹き出した。
その時、僕は狭霧主任のことを、もっと理解したいと思った。
狭霧主任もその時、僕のことを、もっと理解したいと思ったそうだ。
最初のコメントを投稿しよう!